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宝暦の木曽三川治水工事と西田喜兵衛

西田喜兵衛は、三重県多度村(今の桑名市)の村名主であった。
薩摩義士の顕彰はこの人なしでは語れない。
代々続いた豪農で、喜兵衛は十代目に当たる。

徳川の世が終わった明治14年、喜兵衛は約140年前に行われた木曽川、長良川、揖斐川の治水工事に当たった薩摩藩の仕事の掘り起しに動き出す。
代々家に伝えられた「時期が来たらこれを世に公にせよ」との資料の数々と、「薩摩の御恩忘るべからず」との言い伝えがあったからである。
計算すると、この時37歳であったようだ。

初めは、工事の義没者の供養をしたい、との気持ちだったようだ。
ところが、法要を要請した京都の真宗大谷派法主の出向に冥加金1000円を要求され、ここで第一の断念があった。

1000円とは、今の価値でどれくらいだろうか。
明治時代、奈良興福寺の五重塔が500円で売りに出されたが、誰も買い手がなく今に残っている、とは、奈良観光センターで観光案内をしていた時に観光客によく紹介したエピソードである。

法主の出向に五重塔2棟分!

ここに至るまでにも、個人の出向願いには応じられない、今で言えば県知事の要請でなければ応じられないと、真宗本山が要求してきて、慣れないお偉方参りをするなど、難しい手続きを踏んでいる。
当時の三重県知事が鹿児島出身だったことから、こちらはクリアできたが、お金はどうにもならなかったわけである。

ともかく、私たち6人は、海蔵寺を辞して苦労して着いた治水神社であった。
着いてみて驚いた。
治水神社は、工事の総責任者であった平田靭負が祭神である。
遊歩道の中に、明治33年に建てられた巨岩で「宝暦治水の碑」が建っていた。
これが西田喜兵衛が中心となり、大垣、桑名、多度村などの海津郡、名古屋方面の多くの方々の賛助と協力を得て、3度の挫折の後にようやく完成を見た碑である。

この建碑を端緒として、顕彰運動が盛んになり、鹿児島の方も動き出した経緯が、坂口達夫氏の『宝暦治水・薩摩義士』に詳しく書かれている。
この地方の方々は、今でも「薩摩の方に足を向けて寝るべからず」とおっしゃるそうである。
50年前、ビジネスでこの地を訪れたことのある鹿児島の先輩が、営業先の会社の人から
「薩摩様ですか!」
と言われて、薩摩義士のことを知らなかった当時、驚くとともに感動し、以来、その会社と良好な関係を築いてきた、とおっしゃった。

建碑が成った明治33年、西田喜兵衛は56歳であったそうだ。
建碑に要した費用は、総額3,144円。寄付、雑収入合わせて2,456円をまかない、不足分の688円は、西田個人の寄付であったそうだ。

その後、西田家十代の喜兵衛は81歳をもって逝去。薩摩義士の発掘、建碑活動、『宝暦治水誌』の出版など、義士顕彰に命をかけた生涯であったそうだ。
現在十三代の喜大氏に引き継がれているそうで、こうして代が続くということのすばらしさを思う。

現在、関西鹿児島県人会では、春季と秋季の2回、観音堂の大祭参拝のバスを出している。
ここには、末裔であられる平田靭久氏と佐藤一志氏のお二方が必ず御同道される。

佐藤氏は川堤で凧を揚げて義士への奉納とされ、平田氏は、紙芝居で薩摩義士の存在を広く世に広げたいと活動を続けておられる。
ご立派なことである。






by Kinotomii | 2016-05-14 22:39 | 旅日記 | Trackback | Comments(0)
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