再アップ「余計なことをしなきゃ、食べなくなって静かに逝ける」
司会:反町理、秋元優里
7月26日(火)
「人間らしく生き、人間らしく死ぬ」
樋野興夫: 病理学者。「がん哲学外来」
「メディカルカフェ」
・「病気であっても病人ではない」
・「明日この世を去るにしても、今日の花に水をやりなさい」
・医師の仕事には二つある。
一つは、もちろん専門的に優れ、病気そのものを直すこと。
もう一つは、治らない人々をケアして
自分らしく生きることを認めてともに存在していくこと。
・病気になった人は病気もつらいが、これにまつわる人間関係や、
納得しがたいいろいろのことをもって行き場がないことがつらい
・教育は、すべてのものを忘れたあとに残るものだから。
(含蓄のある言葉ですね。書き手の心内語)
・最後の5年間が大事。最後の5年間は周囲の者へのプレゼント。
人間として誠実に生きる。
石飛幸三 外科医 特養の医師
・がんは切って直す、から「単なる部品交換屋」じゃいけないと気付いた。
・寿命が来ている人は、余計なことをしなきゃ、
食べなくなって静かに逝けるものを、点滴漬けにして
無理に命を永らえることが……。
(不幸の始まり 書き手の心内語)
・日本には昔から、自立した死への考え方があった。戦後、
「命」の考え方が変わったのに付随してや医療の在り方が変わった。
・「平穏死」の提唱。
時々この番組を見る。毎回ゲストが出て、それらしい態度で、それらしい意見を述べられる。このような意見を述べるのに慣れた人々ばかりだ。
しかし、今回のこのお二方は、番組が始まると同時に、失礼ながら、どこかのおじさんを二人連れてきました、という雰囲気だった。
ところが、こんな人たちのことを「本物」と言うのでしょう。
ホンモノは、外見はいかにもそれらしくしていない。
ポツポツと真の言葉だけを発される。
「こういえばテレビは喜ぶでしょう」というところが全然ない。
ニセモノの場合は、ペラペラしゃべり、それらしいことを隙なくしゃべられる。
政治家をはじめとして、いかにも賢い印象の方々。
ところが、今回ばかりは、司会の反町氏も小学生のように、司会者という立場を忘れたかのように、オタオタと自分を丸出し。
(自然体には自然体でしか太刀打ちできない)
全国の病院でこのお二方のような考え方が浸透すればよいのに、と願う。
余計な点滴などせず、家族が近くで見守るから自然に逝かせて、と望むのに対して、素人では無理ですよ、と言わないでほしい。
食欲がなく「食べない」意思を表している患者に対して、無理やり口を開けさせないでほしい。
硬くなった血管に、苦労して点滴の針を刺さないでほしい。
口の動きをよくするため、と称して、氷で口の周りをマッサージすることまで、努力しないでほしい。
静かに平穏死を受け入れる病院や家族が多くなってくれることを望むのは、変なことだろうか。
実際の現場を外から見てきた者の、批判ではなく、願い、祈りです。