音楽評論家となっていたはずのK・Kさん
K・Kさんは高校時代からのクラシックファンで、夫とは大学で同級生だった。大学の時にはいっぱしのクラシック通で通っておられたという。
その時のオーディオクラブのお仲間5名は就職してからも付き合いがあり、妻たちも巻き込んで、お互いの子供が高校卒業くらいの年齢になってからは、時々夫婦同伴で集まっては飲み食いをした。
こんなにざっくばらんな付き合いも珍しい、と当時から思ったものだった。
K・Kさんは学生時代からすでに音楽評論を手掛けていて、新聞記者という本人にとっては「音楽評論で飯が食えるようになるまでの仮の仕事」をしながら、評論家修行のために月に数回のコンサートに欠かさず出かけていた。
プロの評論家との付き合いもあった。
さて、2013年4月の大阪フェスティバルホールのこけらおとしの年のこと。
指揮者のロリン・マゼールが、ミュンヘン・フィルハーモニーを率いて来日された。
当時83歳だったか……。亡くなる1年前になる。
フェスティバルホールのこけらおとしの一環として招待されたマゼールを1回聴きたくて、S席を、いろんな意味でやっとの思いで取った。
金額的にあの時の額以上の席はあれ以来取ったことはない。
それでも、2階席の後ろの方だった。
結果を始めに書くと、年齢を感じさせない素晴らしい音だった。
ふと、年齢が高くなると聴力はどうなのだろうか、と疑いを持ったことが恥ずかしい。
これも、ミュンヘンの楽団員が指揮者を尊敬し、信じ、お互いがソリストのつもりで弾いておられるからだろうな、と思う。
さて、通路側の指定された席に座ると、隣のご高齢の紳士が
「私は足が悪いので立ちすわりが不自由です。替わってもらえませんか」
と話しかけて来られた。
ちょっと見た目には、これほどお体が不自由なのに一人で来ておられるのだろうか、と心配するほどの方であった。
ところが、一人語りのように話しかけてこられる。
京都にお住まいで、
ー先週は奈良の秋篠音楽堂に聴きに行った。その前はどこどこに。
ー実際のこけらおとしには招待され、1階の前の方の席だった。
ーどこそこのホールは音が良くない。秋篠はまあまあだ。
ー外国のオーケストラは日本に来る交通費まで負担するから高くてかなわない。
お話を聞いていて、
「これは普通の方ではない。これほど頻繁にコンサートにいらっしゃるということは音楽関係の方か」
とピンと来たので、私も乏しい自分の経験から、かつてミシガンでアバドーの指揮でベルリンを聴いた時の音のすばらしさが忘れられないことを述べると、特に驚かれず、何回も海外に出かけ海外のコンサートを経験していらっしゃる口ぶりで、アバドーは~~~、ベルリンはなかなか聴けない……、などとおっしゃる。
「もしかすると音楽関係の方ですか」
とサラリと尋ねると、名刺を出された。
見ると音楽評論家のA・Nとある。
それで、夫の親友でK・Kさんという音楽評論を目指しておられた方がいらした、と述べると、
「K君は早く逝ってしまって残念だった。良いセンスを持っていましたがね」
とひょうひょうとおっしゃった。
偶然隣り合った隣席の方から自分たちに親しかった人物の話題が出るとは、K・Kさんの情熱がいまだに音楽にある証かもしれないと思った。
生きていらしたら今頃は必ず活躍されていたことだろう。どんなに無念だっただろうか。コンサートにも一緒に行き、面白い高年時代を共に過ごせたのに、と言うと、夫は寂しそうに「うん」と答える。