皮一まい熟柿の果肉守りたる
赤き実をたどる杣道冬来る 澄子
作者は、抗がん剤治療を続けながらがんと闘っている七十台の女性。
その日々は、一時も気が休まらず狭く険しい道をたどるような心持ちなのではなかろうか。
その先に、希望という赤い実があると思えばこそ、険しい山道も先へ進もうと思える。
闘いの連続で、又も冬を迎える、という感慨が感情を抑えた風景で表現されている。
こんな事情を知らなければ、薄っぺらい俳句と思えるかもしれない。
崩れそうな熟柿の果肉を包んでいるのが、薄い皮一枚である、という危うさ。今にも崩れそうであるが、なだめつつ、なだめつつ、わが身を護る。
東大寺大銀杏あり散り敷る 澄子
山寺の昏きにそひて白椿 澄子
東大寺のあの大銀杏は、今でもあるのだろうか。数年前から最も美しい紅葉の杜の大木の木々が伐られ、発掘が始まっていたが。三月堂の下の杜は、秋になると人々が弁当を広げて紅葉狩りをしていた場所だった。あの数本の大銀杏は、秋になるとその一帯を黄金に染め抜いて、人々の顔も黄色く染まるほどだった。