ポテトマッシャーとミネソタの大草原の小さな家
これは、恐らく、1970年以前、アメリカの一般家庭で使われていたポテトをつぶすための台所用具です。
大変具合がよろしい。最近の平ぺったい形に比べ、力もいらず簡単につぶし、同時に混ぜることができます。
アンティークマーケットは、野球場のようなだだっ広い広場に、AからKくらいまでの大テントが建っており、その中で種々様々な品物が商なわれる。
宝石や骨とう品を始め、子供の遊び場もあり、家具まである。
私はどうしても、昔のアメリカの一般家庭で使われていた、特に台所用具が欲しかった。なぜなら、
あの、大ファンであったテレビドラマ「大草原の小さな家」に出てきた母さんが使っていたような、アメリカの開拓時代を思わせる素朴な品々を現地で入手し、自分の台所に置きたかった。
お客さんは1000人以上はいたと思われるが、日本人らしき人々には、夫婦であろうと思われる一組と出会ったのみ。
↓「大草原の小さな家」は、1870年代から1880年代にかけてを描いていたようです。放映は、1974年からであったとは! 当時自分は24歳ではないか……、と奇妙に思える。十分な大人なのに、あれだけ熱心に見たとは!
子供のころに見たと思い込んでいたのに。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%8D%89%E5%8E%9F%E3%81%AE%E5%B0%8F%E3%81%95%E3%81%AA%E5%AE%B6
原作は、ローラ・インガルス・ワイルダーで、主役も二女のローラだった。
このローラが、ウイスコンシン州で生まれ、ミネソタでの生活が主に描かれていた、とは、去年、アイオワとミネソタに行って帰って来てから初めて知り、改めて感慨にふけった。
ミネソタとは、開拓者精神の強い、そんな土地柄なんだな、と思いました。
そのような土地で、片桐大忍師とご家族は、大奮闘されたわけです。
海外布教に行かれる開教師の方々は、一度はお体を壊されて一時帰国される。それくらい厳しいお役目なんですね。
片桐一家もそのようなことがあったようです。一年くらい日本で暮らされたが、その後、夫人のTさんは、大忍師と共にアメリカに永住する道を選ばれた。
大忍師が、辛かったら日本に帰っても良いのだよ、とおっしゃったのに対して、
「私はあなたと生きるために、ここに来たのです。帰りません」
とおっしゃったとか、今は日本に住まれている親しい女性のご友人の方にお聞きしました……。
これもすごい話です。
夫人は、周囲の佛教徒の方々に交代でお世話されつつ-買い物や病院通い等-、ご子息方を近くの町に、今でも、不自由なお体と共に、ミネソタのミネアポリスに一人でお住まいです。2019年11月、片桐夫人は、一人暮らしが危うくなり、ご長男一家と暮らすため、ご長男の家に移られます。老後の事情は、日本もアメリカもあまり変わりません。老人たちはギリギリまで頑張って一人暮らしを続けます。