出産今昔
ある事情から実家帰省はしないことになり、田舎から母が手伝いに来ることになっていた。
初めての出産は予定日より遅れるのが通常だから、と、近くになっても来ない母。
一人その日を待っていた2日前、破水ということになり、産院に電話すると、初産だからまだ大丈夫だからと余裕のある応対。
午後になって、入院の荷物を持って、徒歩10分の産院まで歩き始めた。痛みが来れば止まり、また歩きして、ようやく産院に着いた。
なぜタクシーを呼ばなかったのか、思い出せない。
お隣のおばあちゃんは、あんこ餅を買って慌てて後からかけつけた。
妊婦にあんこ餅を食べさせることは、おばあちゃんにとって欠かせない重要なことのようだった。
夫の両親が、取るものも取り合えず田舎から駆け付け、夫が職場から帰り、翌日の早朝、子供は生まれた。
夫の両親は、まな板の上に豚肉を刻んだまま置いてきたという。
実家の母親は、翌日の列車で駆け付けた。
飛行機には乗れない人だった。
そこから2週間いてくれて、以後は自分で育児をした。
二番目の息子の時は、上に書いたように、産院に電話すると看護師さんが大慌て。上の子の時を反省して、母親は2ー3日早くに着いてくれていたので、上の子は母親に託し、歩いてか、タクシーか、思い出せないがとにかく産院に着いた。車は持っていなかった。生まれたのは、着いてから3時間余り、というスピード。
お隣のお婆ちゃんは家族のように、借家のわが家に上がり込んで退院した赤ん坊を迎えた。二番目の時も大きなアンコ餅を二つ買って来たのは、言うまでもない。
それより不思議なのは、母親が、何処かから鯉を調達してきたことだ。「鯉こく」を食べればお乳がよく出る、と昔から言われているそうだ。鯉のような魚は、近所にありはしない。一体どうしたのか尋ねても笑って答えなかった。
今思うのは、赤ちゃんが産まれるということは、全家族の慶事だということ。昔の人は愛情深かったなぁ、と思う。
今でもよく覚えているのは、囲炉裏に火が燃え、長女の自分だけが目覚めて父親の膝の上で待っていたら、「オギャー」という元気な声が聞こえ、走って見に行こうとしたら、厳しく父親に制止された。
外はまだ暗く、叔母たちと産婆さんが湯を沸かし、あたふたして動きまわっている姿が、囲炉裏の火の中に浮かび上がってくる。
昔は、自宅出産が普通だし、親せき一党が集まって出産という大事に取り組んだらしい。
では、現代のお産はどうなのでしょう。
ごくまれに(だと思う)親を廊下に待機させない産院がある。
妊婦が甘えるから、自宅で待って下さい、と言う。
独りで出産? あんまりですよ。
ゴウノトリというテレビドラマでも、夫一人が廊下で待っている風景が映る。
出産は病気じゃないから、祖父母まで駆け付けなくていいのじゃないの? ということだろうか。
又は、出産は夫婦だけの問題、とでも言いたいのだろうか。そんなバカな!!
昨今の世代間分裂の現実が、ここにも見える。
赤ちゃんが生まれるということは、父母双方のDNAが対等に混ざり合って、人間としてこの世に出てくる奇跡のようなことですよ。
それを、一族郎党で直に祝ってはいけないの?
私の場合のように、早く産まれてしまい、間に合わなければ仕方ないけど、医師や看護師だけでなく、廊下で、今か今かと心を妊婦に致すことも一緒に出産を経験することですよ。
テレビドラマは、社会の風潮を左右する。人々に大きな影響を与える。
こうあって欲しい社会を、ドラマのなかに見せて欲しい。