平凡な人生と非凡な人生
ご両親にもお兄さま達にも、どんなにか可愛がられて成長したことだろうか。
彼女とは40年前に禅寺で出会った。
その頃18歳で、私より二才下だったが、坐禅では先輩だった。
坐る姿が堂に入り、若年女性にも拘らず、何者にも怖気ないところがあった。
彼女は「一番上の兄が」「二番目の兄が」と、
よくお兄様方の話をした。兄しかいないのだから、自然そうなったと思う。
兄というものを持たない私には、「兄」という言葉を聞くだけで羨ましかった。
彼女は、お茶も御華も私より先輩で、和尚様にも一目置かれるところがあった。
私たちはよく、尼僧希望の話をした。
でもそう簡単になれないこともわかっていた。ただ、冗談のように、
「もし、いざとなったら、私ら尼寺に入るもんね~」
と軽々しく笑った。
彼女の覚悟は私などよりはるかに本物だった証拠に、高校時代、京都にあった安泰寺で摂心までしていた。
私は安泰寺に通ったことはあるが、坐禅は自分の居場所を見つけられずにできず(小さな本堂だった)、外の水場で洗い物ばかりしていた。他のあちこちのお寺を回ることは好まず、地味に坐禅を楽しんだ。
ある時、(その頃、彼女はお茶の先生宅に内弟子として入っていたのだが)お茶の稽古の帰り、家には戻らずまっすぐ、その頃ちょっと評判だった名物安寿さん、月心寺の村瀬明道尼のお寺に弟子入りを決行した。
周囲は驚き、ご家族は慌て、反対に反対を重ねて、3年待て、ということになった。
その時の母上様の驚き嘆きは、いかばかりだったろうか。やっとできた一人娘である。納得できないのも無理はない。
その間、お寺の安寿さん初め御家族も説得を重ね、普通の家庭を持つほどの幸せはない、とお見合いをさせた。
そして、お似合いの旦那様を得て、息子さん二人をりっぱに成人させた。
お互い子育ても終わった5年前、変な電話がかかってきた。
不治の病にかかっていることがわかったのは、折り返し電話した1か月後だ。
私たちは、治療の間隙をぬって、大阪に喜劇を観に行ったり、昔坐禅していたお寺を訪れたり、お茶の先生のお墓参りをしたり、色々と行動を共にして思い出を作った。
彼女が立派だったのは、そんなときも、電話で話している時も、決して弱音を口にしなかったことだ。
苦しいとか、痛いとか、悔しいとか、彼女の口から聞いたことがない。
ただ「癌は業な病気や」と言ったことはあった。最後まで、入院中の電話で普通のように話し、「いるんやったら着物あげるし、退院したら、いっぺん家に見に来たら?」
というのが、彼女の声を聞いた最後となった。又も一人、親しい友人を失った。
多くの人は、一見平凡そうに見える。背景を知らなければ、普通に平凡に主婦として一生を生きたようにしか見えない。
しかし、どの人にも言えることだが、人生は一人一人非凡だ。
他人には見せられない孤独や悲しみを抱いていることもある。そんなものを全部ひっくるめて、人は「平凡な人生」と言うのだろう。