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カテゴリ:雑記( 125 )

表現の自由とは? 二宮金次郎ではいけなかったのか

愛知県での「表現の不自由展」にあの少女像が展示されたということ自体、プロデューサーの選択眼、見識を疑うのに、展示に文句をつけた名古屋市長を、憲法違反と批判する県知事の非常識には唖然とする。こんな人に政治を任せて良いのか、との不安すら覚える。

次に日本美術界の重鎮が、「表現の自由への侵害」(日経新聞8月6日)と言い出すに及んで、あれが芸術? と多くの国民は思ったのではないだろうか。

テレビに映るたびに気分が悪くなるあの少女像は、芸術作品なのかという問題がある。
あれは韓国の一部の勢力が政治的利用の目的で作った小道具、プロパガンダと認識している。あれを、攻撃のターゲットであるこの日本で展示すること自体、大変場違いな感じがする。
どういう頭の使い方をすればあのようなものを展示することを思いつくのかと、むしろ不思議だ。
新聞の情報によると、あの少女は、今やアメリカのどこかの州の議会の中にまで据えられ、日本たたきの道具として、あの薄笑いで日々議員たちにエールを送る存在にまでなっているのだとか。

あるいは、こうゆう風に話題になることへのウケ狙いなのか。
だとすると、多くの影響力のある日本人が、姿の見えない誰かに簡単にノセられているわけであるが。
現在、日韓関係が危ういところである。一つ地盤にひび割れができれば、そこから地盤は割れ、崩れて行く。姿の見えない誰かにとって、願ってもないことであろう。
その意味で、プロデューサーの責任は重いと言わなければならない。

大体、「表現の自由」とは、どこまでを言うのだろうか。
何でもかんでも、表現の自由の下に発言、表現して良いものなのか。
表現するその前に、道理や他を攻撃しない慎みというか、何かがなければならないのではないだろうか。この意味で、少女像は、多くの日本人を嘆かせ居心地悪くさせている。明らかな攻撃意図の象徴であるという意味では、奔放すぎる表現力がある。

世の多くの大人たちは知っているのだろうか。
青少年の漫画の一部に、とても信じられない内容のものがあることを。
もう数年も昔、雨の通学路に落ちていた分厚い漫画本が描いていたのは、
まるでガムでも噛むように、握手でもするように、少年少女が簡単に教を外す場面だ。
そして、近所の公園で実際に中学生のような男女が、その期におよんでいる場面を見た時に、私は、「表現の自由」を口にする人々に嫌悪を感じるようになった。

少女像を陳列するなら、なぜ、二宮尊徳像を思い出せなかったか?
最近薪を背負った二宮金次郎像は、日本の学校から追い出され、居場所がなくなっている。表現の不自由という憂き目に遭っている。

二宮尊徳は
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%AE%AE%E5%B0%8A%E5%BE%B3

https://www.huffingtonpost.jp/aport/ninomiya-kinjiro_a_23469862/子供時代も感動的だが、大人になってからの農政家としての方が本当に立派で、わが身を後回しにして農民たちのために尽くし、いくつもの村を財政的に救ったと物の本で読んだ。
今の学校には、こんな日本人がいたという教育こそが必要ではないのか。
一人の立派な人を教えることが、子供たちの不安な心にともしびを灯すに違いない。いじめも少なくなるのではないか。

数年前、知り合いのお坊様のお寺の庭に、金次郎像が仏像のように立っていた。
聞くと、学校にいらなくなったけど捨てる場所がない、ということで、貰って来た、とおっしゃった。
二宮金次郎像がこのように扱われること自体、学校教育がどこかでレールを間違えたという気がする。
本当は学校が堂々と立てるべき人だけど、お寺にあって拝んでも良いような偉人だ。



by Kinotomii | 2019-08-07 15:57 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

アラバマ物語とマララ・ユスフザイに共通するもの

アラバマ物語は、1962年製作のアメリカ映画。
グレゴリー・ペック主演で、1930年代のアメリカのある小さな町で起こった白人社会による黒人と女性への偏見と抑圧を描いている。
原作は Harper Lee の " TO KILL A MOCKINGBIRD" 。
グレゴリー・ペックは、黒人青年による白人女性への強姦事件で加害者として裁判にかけられている黒人青年の弁護士を演じている。

黒人は悪、白人は善、男は加害者、女は被害者、といった固定観念がしぶとく地域を支配する1930年代のアメリカの田舎町で、たとえ、事実がこの反対であっても、あらゆる状況証拠が黒人男性を白と証明していたとしても、裁判官も町の有志も、警官まで、事実より差別と偏見によって成り立ってきた自分たちの古い因習を守るため、正義ではなく、一人の黒人を切り捨てる選択をする。
再び手鎖をかけられて連れられて行く黒人青年の脱力した表情と後ろ姿がやるせなかった。
その夜逃亡を図った青年は、簡単に村人たちに殺される。(真実がバレることを恐れる人々は、早めに青年を無き者にしておきたかったことだろう)

グレゴリー・ペックは法に照らして一人で頑張るが、人々が長年胡坐をかいてきた不平等と不公平への依存は強い。
命を狙われることになる。

この裁判には、なぜか、子供たちも傍聴席に参加しており、子供の目を通して、大人社会のゆがみが描かれる。

しかし、子供たちにも又、大人社会から譲り受けた偏見の目がいかにして育っていくか、引きこもり青年を得体の知れないモンスター化していくのは何気ない悪気のない普通の人々の日常生活やしつけを通してだということが描かれる。私たちが何気なく話すこと、それらは、すべて話す本人の見識、偏見の上に成り立っていることを、いつも注意深く自分でチェックしなければならないな、と思う。

しかし、最後には、引きこもっていた青年の、純粋で一途な行動に皆が助けられることになり、ほっとする。
正しい解決方法ではないが、帳尻が合うといったような。神の下した解決方法だったかもしれない。

やっぱりアメリカ映画だな、と思う。
このころのアメリカ映画には、真摯に人間に向き合った良いものがいくつもあったのではなかろうか。「12人の怒れる男」とか。
そんなに沢山観ていないので大きなことは言えないが。
この「アラバマ物語」は特に好きで、10年前からDVDにも保存。
何度見ても、最初から最後まできちんと腰かけて集中して観てしまう。
監督はRobert Mulligan 。音楽は、何とバーンスタイン!

今から60年前のアメリカ映画だが、この映画の目指すところは、ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんの主張するところと同じだ。
私は、現在21歳になったこの稀有な女性の活動とメッセージを、NHKの番組で初めて詳しく見て、真から得心した。
「私がまだ生きているのには理由がある」と言う彼女を、一人の女性としてではなくて、多くの不平等を被っている人々の代弁者として、私達は応援していかなくては。




by Kinotomii | 2019-07-13 22:59 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

さよなら スーザン・ベネット ⑤ 最終


こんなことを毎年欠かさず繰り返して二十年ほど経ったころから、お互いに実現しない邂逅に見切りをつけた感がある。
私たちは、いつの間にか老年に入ろうとしていた。不思議な私たちの付き合い。
要するに行きずりの関係。それなのに、ここまで続くとは。

多分近くにいたら、趣味も(山歩きの写真が入っていたことがある)、感覚も合って、良い友人になれたのではないかと思う。
あの最初の出会いの時の、全く他人という気のしない懐かしい感覚。それは、「人なつっこい」というのとも違う。
どこか遠慮がちで、受け身的。
多分英語も選んで使ってくれていたのだろう。
だからこそ、壁がない身内のような感覚だったのではないだろうか。

生きてきた文化も言葉も経験も違うけれど、何かを同じくする関係というものが、日本とアイルランド、遠く離れた生地を持つ人間同士に存在することを信じられることは幸せだと思う。

もし
Susanのような友人を近くに持っていたら、私の人生は人との付き合いに今ほど苦労せず、もっと豊かで温かいフレンドシップを築けたのではないかと思うときがある。
けれど、こんな形で続く友情もちょっと捨てがたい面白い形だ、と思う。了


by Kinotomii | 2019-07-08 16:59 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

さよなら スーザン・ベネット ④


 ある年は父親の看護のためアイルランドに一年間帰った、とある。
生まれ故郷はアイルランドだったのか!

ところで、年齢を知らないのだけど、一体何歳? と書くと、その返事は来年のクリスマスカードになるわけだから、そのときにはもう質問のことなど忘れている。
自分と大体同じくらいであろうとは想像していたが、あまりこだわる気もない。
送ってくる写真の顔は確実にその年齢になっている。

 
次の年は、ヨットで三ヶ月くらい休養している、とある。
ヨットって? 自分の持ち物なの? 
それとも観光ツアーなの? とこちらは興味津々。

すると、翌年の返事に、父親の持ち物だったけど、自分のものになったから、とある。
想定していなかったけど、ものすごいお金持ちだったのだろうか。最初から独身であることは疑わなかった。

 
そういえば、仕事がないわりに生活に困っている様子がなく、ベトナムにボランティアに行って、ベトナム人の親しい友人が沢山できた、と生徒と共に写った写真を入れてある。
ベトナムではボランティアで食べられるのだろうか。
普段の生活費はどうしているの? と、凡人はすぐ不安になるけど・・・う~ん、遺産があったのか。


ある年は、友人の娘さんの結婚式の写真が沢山入っていた。
この娘さんとは随分前、二人だけで長い旅行をしたこともあるらしい。
友人の娘さんの方は山形県に滞在したことがあって、彼女を訪ねがてらあなたに会いたい、と書いてきた年もあった。

どうぞ、いらっしゃい。奈良へはこれこれこんな手段で来れば良いから、と詳しく書いて送ったが、これも実現はしなかった。


日本人の友人も数人いるらしく、数年前の友人の娘さんの結婚式の写真には、私と同年配らしい二人の日本人のご婦人に挟まれて、長身の
Susanが写っている写真もあった。


そして昨年は、


「奈良で過ごした楽しい時間を思い出している。いつか戻って会いたいものだ」


と書いてある。
ぜひ、いらっしゃい。一週間くらいならうちに泊まっても良いから、と書き送った。これも具体化はしなかった。


思うに、
Susanは、案外遠慮深い謙虚な人柄で、やはり、一度会った事があるだけの人物を頼って来日することにためらいがあったのではなかろうか。
こちらがお膳立てをすれば、喜んで来日したかもしれない。

私は『アンジェラの灰』の作者、アイルランド出身のピューリッツアー賞を受賞したフランク・マコートのことを思い出したりした。



by Kinotomii | 2019-07-07 16:18 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

さよなら スーザン・ベネット ③


Susanの手紙にはいつも、一年間に自分に起きた変化が書いてあった。

奈良で出会った翌年、彼女は失職した。カナダが不景気な年であったこともあり、大学での職を失った。
日本と違い、少なくとも、アメリカ、カナダは、最初から大学でパーマネントジョブを得ることはほとんどないようだ。
Susanは、自分も失職していながら職のない人たちのカウンセリングを半分ボランティアでやっているとある。
しかも二時間以上かかる距離を多分車で通いながら。
こんな具合で、一体どうやって生計を立てて暮していけるのか不思議であった。


ある年は、ベトナムに半年くらいボランティアで英語を教えに行っていた。生徒たちとの写真が入っている。やりがいがある、と書いてある。


ある年は、日本に来たい。カナダは就職状況が悪いから、とある。
日本に来るならできるだけのことをしてあげるけど、日本では
NOVA という英会話学校で英語を教えるくらいしか仕事はないだろう、と電話番号と共に書き送った。
日本に来たら電話して、と。

日本の大学で教えるには、多くは大学に伝手を持たなければ難しい。
欧米人だからといって、即大学で英語を教える身分になれる時期は過去となり、今では日本にはその職を狙っている欧米人が数多く住んでいる、と。



by Kinotomii | 2019-07-07 16:12 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

さよなら スーザン・ベネット ②

さて、今でも不思議でたまらないのだが、、Susanの前ではいつになく私の拙いはずの英語がスムーズに出た。彼女の英語もよく理解でき、まるで十年来の知己のように話がはずんだ。
彼女がバンクーバーアイランドに住んでいると言った時、私の胸はさらに弾んだ。
一週間後、夫が仕事で行っているバンクーバーを訪れることになっていたから。
まさに不思議な偶然。

私にとって、一九九一年のバンクーバーは初めての海外であり、しかも、先に夫が滞在しているバンクーバーに、一人で小中学生の子供二人を連れて行かなければならなかったため、ナーバスになっていた。
ところへ、因縁めいたバンクーバーの女性登場。
私はもう運命の出遭いのような感覚に陥り、バンクーバーのことについて訊ねると、来たら電話して、と電話番号と住所を教えてくれた。


妙なことだが、彼女と向き合っていると、「どこかで会った事がある」という懐かしい感じがあって、住所を教えることが不自然ではなかった。
同じ空気を持っていると言えば良いだろうか。この単純さは時に危険だが、この場合直感は間違っていなかったようである。


とはいえ、いくら世間知らずの私でも、初めての異国で、女学生みたいにそこに電話しても良いとは考えなかった。
十日間のバンクーバー滞在の間、忙しくてとてもそんな時間的余裕はなかったこともある。しかし、バンクーバー滞在の最後の夜、試してみたくなった。ほんとに繫がるだろうか。
そしてやってみると、一度目は留守電。
私も留守電にメッセージを残した。
「明日はもう帰る」と。
すると、折り返し彼女から電話があった。

「ここでは会えなかったけど、またどこかで会えるといいね」


と、お互い奇妙な出遭いを意識しながら受話器を置いた。

その年から毎年クリスマスカードが届くようになった。
誰よりも早く、12月になるとすぐ届くのがSusanのカードであり、内容を読み、私もお返しのような体裁でカードを出した。時には封書で写真入りを。



by Kinotomii | 2019-07-04 22:27 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

さよなら スーザン・ベネット ①


 
スーザン・ベネット(SusanBenettとは、三十年前一度しか会ったことはない。

奈良市のツーリストセンターで外国人相手の観光案内ボランティアをしていた一九九〇年、一人でふらっと入ってきた化粧気のない白人女性で、Tシャツにジーンズ姿のバックパッカー姿だった。
当時、欧米人はこんな姿の観光客がほとんどで、特に目立つ格好ではなかった。

あのころはバブルの最後の頃で、奈良ツーリストセンターを利用する外国人観光客は、一日約25組、50人ほどもいたが、バブル崩壊と共に、急に少なくなっていった。

 

彼女は最初から親しみを込めた謙虚な態度で話しかけてきた。
カナダの小さな短期大学で、「観光学」を教えていると。「観光学」とは、日本でも最近ようやく近隣の大学に「観光学」なる学科ができた、とテレビのニュースで報道していたが、当時は聞いたことがなかった。それで、私も興味を持って質問したような記憶がある。

彼女は、自分の専門分野の立場から、旅行をカード一枚で済ませられる社会を理想としていた。
旅行を快適にするためには、支払いは単純なほど良く、そのためのカードの必要性を主張した。それで、日本社会でのカード使用状況についてしつこく質問してきて、その頃日本はあまりカードを使わない社会だったから、ちょっと困った記憶がある。
今でこそ、一人で何枚ものカードを所持する世の中となり、世界中どこで買い物しても、カード決済は便利で安全な方法になったが、
30年前の日本では、まだ一般人にはカードは恐いものという意識があって、日常的ではなかった。


因みに、この日から一週間後に訪問したバンクーバーのレストランで、代金をカード払いにしたら、店の人は客に渡した控えの残りをくずかごにポイと捨てた。私は驚いて、
「これは捨てて良いのか」
と恐る恐る尋ねたら、平気な顔で、気にするなという意味のことを言った。今でもあの領収書をくずかごから拾って来たいほど気になる。
もちろん、その後何も起こらなかった。カナダはあの頃もうカード社会だった。



by Kinotomii | 2019-07-03 16:57 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

ある人の手紙から

《ある手紙からの抜き書き》

・・・・・・・・・
確かに老人は施設を利用することを嫌がりますね。

嫁と同居していれば、嫁への気兼ねからデイサービスに行く方もいらっしゃいます。

近くのオバサンが漏らしていらっしゃいましたが、本当は行きたくない。

子供たちを安心させるために仕方なく楽しそうな顔をして行くんだ、と。

とは言っても、子供にも親の安全面への不安など事情があるのですが……。

もし自分がこうなったらどうするだろうか、と考えるときがあります。


両親が家で暮らしている頃、自分の身も不自由な母にとって父の世話が大変で、

デイサービスに週1回でも行ってくれればと、ケアマネージャーも加えた家族総員で説得しました。

父が「試しに」ということでしぶしぶ行く事に決めた朝、
迎えのバスの時間より
1時間も前から

玄関を出たところの椅子に腰かけ、荷物を腕に抱えて緊張の面持ちで待っていたのを思い出します。

その日、父がいないと全く母の行動が楽で、周囲は皆安気でした。

夕方になり父が帰ってきました。

楽しそうな笑顔で、職員の方々に「おおきにな」と頭を下げ玄関を入ってきた時、母と私は「こら良かった! 」と

ほっとしました。

ところが、ほっとしたのもつかの間、玄関に入った途端、父が吐瀉しました。

勢いよく胃の中のものを全部吐きました。

慣れない環境で周囲に気を遣い、神経を使い、その結果のことと思われました。

「この人には向かない」とわかりました。

翌日からまた母は父の気難しくわがままな一日に付き合う羽目になりました。

そして、1年後母の方が倒れたのです。


年寄りはぐんぐんガンコになりますし、一番近くにいる、わがままの言える人間を責めるようなところがありますね。

あの本に書けないことの方が多いです。本当はもっと深刻です。

頭もガンコになっているし、意識が昔に返っているので、理不尽を言います。

ですから、二人とも施設に入ってからは、子供たちの楽なこと。

でも父は何回も家に帰ると言って困らせました。

私が帰省したときだけ、できる範囲で家に連れ帰りました。

すると今度は施設には帰らんと言って困らせました。

誰でも自分の家がいいんですよね。

こんなに世の中が長寿社会になるとは、40年前は誰も想像できなかったと思います。


by Kinotomii | 2019-06-11 23:07 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

庵 是是鹿鹿 (いおり これこれしかじか)でのお茶会

「庵 是是鹿鹿」 の入り口
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又洒落た店名ですね。
奈良町の福智院交差点の角にあります。
3か月ぶりに訪なうと、普段は13時から古民家カフェに変身しておられた。
町家作りですから、奥に長い作りです。
三か月ぶりのお茶会です。友人を誘って。
感動の連続で、友人への面目躍如といったところ。

皐月の茶会と銘打ってありますが、テーマは「令和」と「伊勢物語」でした。
「伊勢物語」など誰でも知っているという前提の下に茶会が催されます。

待合の掛物が「うひかうぶり」でしょうか、とどなたかが仰り、その時は掛物の意味が掴めなかった。
席入りの後で、御亭主が待合の軸は『伊勢物語』初段「初冠」であること、
この庵が奈良の春日の里に位置していること、
席の御軸が伊勢物語関連であること、を世間話のようにさらっとおっしゃった。
何かにつけ、お茶人は大げさな物言いをなさらず、まあ、こんなところで、といった風情です。

帰宅してからようやく思い出した。
「初冠」の段は初段であるので有名で、そうそう、元服を済ませたある男が、奈良に鷹狩りに行き、うらさびれた春日の里の民家で艶やかな姉妹を物陰からのぞき見する様子が描かれている。
こんな田舎に(奈良は今でもいなかと揶揄される)このような艶めいた女人がいるとは、と男が感嘆する場面だ。
因みに、のぞき見とは品が悪い、と現代人は思うが、この時代は、男性が 女性の品定めをするのに普通に行われていた習慣だと、古典の先生に教わった。

御亭主のお住まいが春日の里、ということで、この段をえらばれたのだろう。
心憎い演出だ。少しでも情報があれば、予め勉強していくんだったのに!

お茶もお菓子もお点心も、目で歓び、舌で歓び、器で歓び、と非日常を味わった五月の一日でありました。
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by Kinotomii | 2019-05-17 23:24 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

誕生日

5月のバードデイ(birds day)に生まれた。
母の日ともよく重なるので、誕生日と母の日の祝いが一つで良い、経済的な生まれだ。
自然と鳥に興味を持ち、鳥をアップしていらっしゃる方々のブログのフォロワーとなり、時々、素晴らしい鳥たちの姿を眺めては感激のため息をついている。
技術も良いのだろうけど、カメラの感度が違うのですよね。

こちらに出てきたころは、よく母親から誕生日祝いの電報が届いた。
今ならメールだが、あの頃、よっぽど家から離れた娘のことが心配だったものとみえる。
両親共に亡くなった今思うと、あの頃、親たちは愛情深かった。
子どもたちも、親に甘えることはなく、親を気遣い、実家に帰っても親の代わりに家事などをやり、しばしでも親たちの仕事の軽減を図ったものだったが。
婚家でも実家でも、この時とばかり、台所から洗濯から掃除から、すべてお任せあれ、とばかり働きに働いたものだった。
苦労性の生まれなので、同年代でも、こうでない人も多いのだろう。
現に、昔の尼僧希望だった友人は、実家に帰ったら上げ膳下げ膳で、洗濯もお母ちゃんにしてもらっていた、とおっしゃった。それなのに、母より先に亡くなってしまった。

自分の誕生日の度に思う。
何と良い気候の時に生んでもらったものか。
暑くもなく、寒くもなく、鳥たちは歌いさんざめき、花々は今を盛りと咲き乱れ、
新緑に吹く皐月の風は、力強くも荒々しくはなく、未来への勇気を運んでくれるようなパワーに満ちている。

今年は、故郷から移植した庭の茶の木の茶摘みをし、茶を炒って新茶を楽しんだ。
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少なかったが、本当の新茶の薫りと味がした。
もう少し炒れば母親が作っていた、あの手もみ茶になるが、フライパンでは焦げそうで危険だ。
昔、大釜で茶を炒った、あの一家総出の茶摘みの日が懐かしい。



by Kinotomii | 2019-05-14 15:02 | 雑記 | Trackback | Comments(0)