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カテゴリ:本( 10 )

『袈裟のはなし』久馬慧忠(きゅうま えちゅう)著

「袈裟を着けることは、佛の心を身にまとうことなのです」 久馬慧忠

『袈裟のはなし』は、同じ久馬老師の仕事である『袈裟の研究』より、やさしく書いてある。
左が『袈裟の研究』、右が『袈裟のはなし』です。
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『袈裟の研究』が専門的に描かれているのに対して、『袈裟のはなし』は、一日で読めるほどの量でありながら、初心者が入っていくのに無理なく理解
できるように工夫がされている。
初心者ならこれだけ知っていれば十分、といったところで、やさしくわかりやすくまとめられている。

ここまでまとめられるというのは、久馬老師がお袈裟、絡子を大勢の方々に伝えなされた、その経験がものをいうのだろうと拝察する。どこを知りたいか、どこがわかりにくいかがわかっていらっしゃるという感じがする。
そこはかとない絡子への愛情と強い情熱が感じ取れるのである。
日本だけでなく、ヨーロッパにも毎年伝授に赴かれていたようだ。
まだ御存命の頃に御指導を受けたかった、と思われてならない。



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by Kinotomii | 2019-08-01 23:14 | | Trackback | Comments(0)

「万引き家族」のりんの真心

映画「万引き家族」の「りん」は、寒空の下、母から虐待を受け、家の外に出されてせっかんされていたところを、ニセ家族の父親役の男に拾われる。
家族のように見えるが、全員が人に言えない過去を持った他人同士である。他人同士でありながら、ややもすると、血縁のある家族よりも、お互いに思いやり、許しあう家族の基本的形容を見せる。
しかし、おおもとのところは反社会的であり、虚偽によって成り立ってはいるわけで、万引きすることにためらいはない、そんな集団だ。
5歳の女の子は自分の名前もはっきり言えないほど成長が遅いため、「りん」と名付けられ、万引き家族と共に暮らし始める。

ある日、クリーニング屋で働いていた母親役の女の腕に、アイロンによるやけど痕があるのをりんは見つける。そして、自分の腕にもあるよ、と見せ、女の腕の傷痕を小さな手で優しくなでる仕草をする。
自分が母から受けた虐待の辛さから相手の辛さがわかり、相手の辛さを自分のことのように感じるわけです。

これも一つの慈悲の心でしょう。
自分が受けた悲しみを相手の中に見、同化する。
幼くとも、慈悲の心は存在するのでしょう。
慈悲とは、「自己愛の180度転回したもの」と佛教では説明します。
自分と相手を一つに見る目を持った時に、「慈悲」ということがわかるのでしょう。

といっても、このように観念で意味づけするものではなく、このような意味づけは、第三者がやったこと。

しかし、慈悲の心が、いつも誰にでも通じるのかというと、中務の必死の思いも、最初は、敦明親王には全く通じない。どころか、却って蹴散らされる。
ではこれは、慈悲ではないのかと言うと、やはり中務の慈悲の心に間違いはない。
ではなぜ?
これは、やはり、相手に聴く気があるかどうか、というところではないか。
コミュニケーションの基本のところが形成できていないと、どのような交流も無ということではないか。
相手に受け入れる気持ちがなければ、すべては無である。

今は亡き、有名教授であられたM先生の主な研究は、人と人のコミュケーションはどのように成立するか、という感動的なものであったことを、記憶の定かでない頭でぼんやりと思い出している。
だから、相手に受け入れられない慈悲は、慈悲ではない、とは言えないと思う。
自我を満足させるためではなく、100パーセント相手のことを想ってする行為は、やはり慈悲なのではないか。
例え、それが相手に通じなくても。

親が子を想うことが、一般衆生においては慈悲の代表であらねばならないが、今は親から子への虐待が多くて、そうも言えなくなった。
りんの母親も夫からDVを受け、その夫も多分、社会から痛めつけられている。自分より弱い者を苛めることで一瞬のウサを晴らさねば生きていけなくなった、現代の病理を是枝監督は描いている。

りんは、親の元に返すのが一番いいという、おざなりな世間の決定によって、再び精神を病んだ両親の下に返されるが……。

一方、中務の身を捨てた行為は、最後には敦明親王にしっかりと届く。
敦明は、菩薩によって救われた。
中務は、神仏によって最も愛された登場人物と見える。



by Kinotomii | 2019-07-27 23:02 | | Trackback | Comments(0)

『満つる月の如し』中務(なかつかさ)の真心

ところで、

『満つる月の如し』の中務(なかつかさ)は、多分一生忘れられないインパクトを持つ人物となった。

この小説は、天才仏師、定朝を中心に、天才的な頭脳を持つ比叡山の僧、隆範を副主人公のようにからめながら、道長時代の不毛の時代を活写している。

定朝が主人公のようであるが、しかし私は、隆範が真の僧として目覚め、ぎりぎりまで仏弟子の在り方を追求した果ての物語と読んだ。
この二人の男たちの、見えない火花がすごい。
片や芸術を極めるため、片や真の仏弟子たらんとぎりぎりまで修行に邁進する。
正に、天才は天才を知る。

「中務」は、中宮彰子に仕える女官。
従兄である敦明親王の深い悲しみを知る、ただ一人の人である。敦明は、名ばかりの親王である。
道長の専横により、財産はそのままに、権力はすべて奪い取られる。そこから来る親王の乱暴狼藉に、中務は、「迷子」の子供の不安と、手足をもぎ取られた生物のやるせなさを、自分のこととして感じたのだろうと思う。

乱暴を働くたびに敦明親王を守りかばい、どこまでも「あなたは本当は、優しい人なのです」と側に付く。
誰もが敦明を諦め切り捨てようとするが、中務は、敦明から撥ね付けられ相手にされなくても、決して敦明を諦めない。

これは、恋愛感情などではない、ということ。
中務は、実は見目麗しい女性なので、男たちからの申し込みが引きも切らない。
しかし、全く相手にしない。
中務は、こんな女性だ。作者は、中務に菩薩を重ねた、と言ってもよい。

私は、最後には中務の慈悲の心は通じるだろう、通じなくてはならないと予想していたが、
「慈悲」とは、生易しい同情や共感を超えたところにあるものだ。
己を削ることなしにはあり得ない。身を削ってこそ、相手に通じる真心と言うべきだろう。。。

すべてを捧げつくし、与え尽くす。
こういうことは、恐らく、非思量の世界で、体の底からうねりのように湧いてくる説明のつかない人間の本質。これをこそ、「仏性」というのではないか。
あえて言葉で説明するなら。


そして、中務の最後は……。

澤田瞳子氏の小説は、どれも甘ったるい結末はない。
しかし、納得のいくものだ。
この小説も、定朝、隆範、中務の三人共に、仏法に照らして納得のゆくものとなっており、しばらくは悠久のかなたに遊んだ後のような清々しさを覚える。


by Kinotomii | 2019-07-26 13:32 | | Trackback | Comments(0)

澤田瞳子 『与楽の飯』『龍華記』

澤田瞳子さんは、1977年京都府生まれ
弱冠40歳 or 41才。
奈良時代史を専門とする研究者であったそうだが、想像力があり過ぎて、小説家に転身、とは、ご本人の弁。

『龍華記』を上梓された時、興福寺会館で講演をされ、初めてこの作家を知った。いや、これは反対で、澤田さんの講演を聴きたくて会場に行った。
そして、頭の中が言葉で溢れんばかりの講演内容と、飾り気のない話しぶりにしきりに感心した。
サインをしてもらうため、長い行列にも加わった。

帰ってから、会場で買った『与楽の飯』と『龍華記』を読んだら、更に圧倒された。
二冊とも興福寺と東大寺の話だ。
専門的歴史的語彙の豊富さと、甘さのない内容。
女性でここまで、ほぼ男の世界を書ける作家は、今まで知らない。
奈良の都も、いきいきと現代に生き返ってくるようです。

小説に必要な論文を読み込むことから始めるそうで、いかにも、と思った。
研究者なら論文を読むことには慣れており、むしろ、読みふけるほどの興味の深さから、そこから得ることも多いと思われる。
しかも、内容も人間味にあふれている。

図書館で何冊か借りたら、どれもしおりの紐が擦り切れて先がなくなっていた。
これなら数十人ではきかないだろう、借りた人の人数が。
三桁はいっているに違いない。

ところで、





by Kinotomii | 2019-07-25 22:33 | | Trackback | Comments(0)

『禅に生きる 復刻版』澤木興道

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非売品です。
愛知尼僧堂での日曜参禅会で、参禅者全員に賜った。
青山俊董老師の、本から採った禅語のサイン入り。私は、
「宗教は生活である」を頂戴した。

昭和31年に出版され絶版となっていたものを、この度、中祐一郎という方が、原書に基づいて編集再販された。
中さんは、学生時代に安泰寺の坐禅に通い、何度か、澤木老師の提唱を拝聴された由。
その後、思いもかけない因縁が重なり、広がり、この本の再販に至った。
この経過も感動です。
若い頃安泰寺に通ったことのある自分にとり、あの頃を共有する意味でも、親しみを持って手にした。

澤木老師には、有名な『禅談』があるが、「禅に生きる」の方は、酒井得元老師と内山興正老師が、折に触れて澤木老師から聞いていた回顧談を自伝の体裁にまとめられたものです。

澤木老師は、幼い頃御両親を亡くされ、最底辺の辛酸の中に育ちます。
5歳で母親を、8歳で父親を亡くし、父方の叔母に預けられます。
しかし、ここの叔父が同じ年に死んでしまい、次は、
全くの他人である提灯屋夫婦に貰われ澤木姓となる。この養父の家は遊郭街にあり、この界隈は、<世の中のインチキというインチキの巣窟>だった。
養父母は博打と酒に明け暮れ、澤木少年が提灯張りをして生活を支える毎日。

ある日、近所の女郎屋で急死事件があった。
若い娼妓を買った五十男が卒中か何かで急死する。その現場を目の当たりに見て、澤木少年は、
「内緒ごとはできんぞ」と冷水をかけられたような深刻な実感を味わいます。
以後、澤木少年は正直に生きることを自分に言い聞かせます。
そして、実の親も二番目の親が死んでもまだ目が覚めない自分に、天がこのような理不尽な活劇を見せて自分に世の無常を教えている、と理解します。
このあたりは、まるで映画を見るような緊迫感です。
随分後に、戦争で大けがをして久しぶりに養父母の元に帰ると、二人は相変わらず博打と借金漬けの生活を送り、この借金を息子に払わせようとします。首に大けがをしているのに、養生どころではない。
養父に対して「あんたのおかげで、わしは堕落できません」
と言わしめます。

人生の矛盾に苦しんだ澤木少年は、
17歳のとき、「坊さんになる」と決めて、70里の道を歩いて永平寺に向かいます。
永平寺に着いても中には入れてもらえず、二昼夜飲まず食わずで頼み続け、ようやく寺の下働き、男衆に置いてもらえることになります。
「その時のわしの嬉しさというものは、一生忘れられるものではない。感激の涙が出て仕方なかった」

男衆をしていても坊さんになれるわけではない。どこかで師匠につかねば、坊さんにはしてもらえない。
そこで、明治30年1月、文無しのまま、歩いて九州天草に向かうのです。
舟に乗せてもらう時には、頭を使います。
元々頭の良い方です。
着る物、食べる物がない時には、乞わずとも近くのばあさん達に助けられるという運命の方です。

この方は、いつも周囲より人一倍の苦労をするように生まれついているように思えます。
そして……この後も、長い長い活劇が続きます。

尼僧堂からの帰路、高速バスの中で頭も上げず読み続け、帰宅しても入浴の時間も惜しく寝床に入るまで読み続け、笑ったり、にやけたり、涙したりして、3日で読み切った。
これほどの魅力ある人物は、ご本人の持って生まれた宿命もあるのでしょうが、時代が作ったともいえるのではないでしょうか。

学校に行けなかったために、ヒリヒリするような勉学心を埋めようと、
飽きることなく佛教探求に向かい、又、単なる観念で終わらせず、実践の人、一致の人というところが、すごい!
人間澤木、と思わせ、つい気持ちがクラッといってしまいそうです。

宗教は胡散臭い、と思っている人々の気持ちを変えさせるほどの、真実の書です。


by Kinotomii | 2019-05-21 17:35 | | Trackback | Comments(0)

空が青いから白をえらんだのです 寮美千子・編

旧奈良少年刑務所は、現在は閉められ、レストランに改装される予定です。

昨年11月、このレンガ造りの外見の美しい刑務所の内覧会がありました。
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大勢の人で、建物に入るには2~3時間待ちでした。

ここで、受刑者に「詩」の指導をされていたのが、寮美千子さんです。
『空が青いから白をえらんだのです』の本は、受刑者の詩の教室でできた詩を、寮さんが編集して本にしたものです。

「くも」

空が青いから白をえらんだのです


「あたりまえ」

食べられる
眠れる
歩ける
朝を迎えられる
母がいる
みんな あたりまえのこと

あたりまえのことは
あたりまえじゃないんだと

あたりまえのなかのしあわせに気づかずに
薬を使って偽物のしあわせを求めたぼくは
いまやっと 気がついた

あたりまえの しあわせ
あたりまえが しあわせ


「誕生日」

小さいころは いつも手をひいてもらったのに
いつのまにか その手を拒み 避けてきた

「産んでくれなんて 頼んでない」
勢いあまって そう言ったとき 泣き崩れた母

きょうは わたしの誕生日
それは あなたが母になった誕生日

産んでくれなんて 頼まなかった
わたしが自分で
あなたを親に選んで 生まれてきたんだよね

おかあさん 産んでくれてありがとう

刑務所には宗教家の方々が教誨師として入り、定期的に指導していらっしゃるから、この詩のように、宗教的に高いところまで達することができるのでしょうか。


奈良市七条にある医療センターから大池を挟んで薬師寺を望む。友人のご主人による撮影。
池の向こうに見える塔が、薬師寺西塔。
ストライプの建物に見えるカバーの中には、修復中の東塔が入っています。


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今日は風があって、世間の桜はちらちらと散っています。
薬師寺の近くの大池のほとりに立つ医療センターには
沢山の大きな桜の木が植えられ、40年以上前から桜の名所となっています。
この地域に住んでいた30年前、子どもたちは幼稚園児から小学生。
国立西奈良療養所と呼ばれていたここの病院は、我が家のかかりつけ。
しょっちゅう熱を出し、お得意さんでした。

桜の季節になるとここでよく、今でいう「ママ友」とお花見をしました。
大池を目の前に、桜の木に登ったり、落ちたりして遊んだ子どもたち。
葦の繁っていた大池も、今ではセメントでばっちりと固められ、水鳥の飛来地となり、当時のいかにも奈良といった面影はあまり残っていません。

圧倒的な桜の群舞です。
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by Kinotomii | 2019-04-08 17:09 | | Trackback | Comments(0)

アマゾンで希少本になっていた!

これは、2015年にパレードという出版社から出版した本です。
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本日から、TSUTAYA押熊店(奈良市)に置いていただけることになりました。定価1000円です。

因みに、『朱いちゃんちゃんこ』とは、還暦を迎えた人が着る、あの老人用のちゃんちゃんこではありません。
赤ちゃん時代から本が始まるので、反対に赤ちゃんの総称としての「朱いちゃんちゃんこ」です。

TSUTAYAさんに置いていただくまでには、事情がありました。

ある日、自分の本をamazonで検索して驚いてしまいました!
何と、定価1,000円の本が、2,400円で売られていたのです。
これは……、これではいかん。
さっそくアマゾンの店主に連絡してみました。
作者である私の元に大量に在庫があるので、もっと価格を下げてもらえないでしょうか?

答えはすぐきました。
「amazonで在庫切れのため、他の書店から定価で仕入れ、希少本として販売している。新しく仕入れる目途が立たないので需要と供給の関係で、この価格になっています」と。

自分がamazonに出せば良いのでしょうが、この手続きなどがとても面倒。
後の処理も面倒。
年齢のことも考える。いつまでPCを使えるだろうか、と。

それに、できれば、本は本屋さんの店頭で買いたい。
手に取って、眺めて、中身を読んでみて、よし買おう! と、こういう手順で買いたい。その方が、間違いがない。

こういう事情で、TSUTAYAさんに相談したら、親切に、しくみを考えて下さいました。
以前も、ここに10冊置かせてもらって売り切れました。
友人知人を総動員したから、ということもあるけど…。
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自分で本を出すことは、大会社が宣伝費用を持ってくれることもないし、気苦労の多いことでもあります。
自分で自分の本を宣伝するなど、気恥ずかしいと思いながらも…、2400円で売ってはいけないと思いました。
中身は、老人介護の問題や、社会の片隅でひっそりと生きているような人々へ、光を当てる内容となっております。
奈良県内のTSUTAYAさんで。






by Kinotomii | 2018-06-13 18:23 | | Trackback | Comments(0)

いきものたちのうた 

2013年夏に出した3冊目の本『いきものたちのうた』
http://hbgallery.shop-pro.jp/?pid=62428584
が、出版から2年以上経っているのに、奈良中央図書館http://www.city.nara.lg.jp/www/genre/0000000000000/1000000000931/index.html
の陳列棚に堂々とディスプレイされていたのには驚いた。

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女性センターでのセミナーの帰りに、しばらくぶりで立ち寄ってみたのである。
東京のHBスタジオの制作であるこの本は、人気イラストレーターである唐仁原教久氏が表紙を飾り、私の本の中で唯一ハードカバーである。
http://hbgallery.shop-pro.jp/?pid=62428584

こつこつ、しこしこと地方都市で本を書いている。
書きたい気持ちが抑えられないときに、本を書く。
だから、何十回も読み直し、書き直ししているにも関わらず、どの本も私の中ではいつまでも新鮮だ。

多分、と、私はありがたい気持ちを持って考える。
ここの図書館の司書の方か、読み聞かせボランティアの方か、あるいは、利用者の方が読んでくださり、
「良い本だから、大勢の目に留まるところに出しておきましょう」
と言ってくださったに違いない。

改めて自宅で読み返すと、神さん好きの「みづえ」と、絵を描くことが好きな喘息持ちの「ともき」が、二人で大人の知らない世界を持ち、みかんどろぼうや、ミツバチ取りや、神舞の日の不思議な体験を通して次第に神様の領域から人間の領域に入るところを書いている。
今の子供たちに欠けている部分ではないかと思うから、あえて書かずにおれなかった。
大手書店のように宣伝することができないから爆発的に売れるような本ではないが、
案外このような立場の本に、多くの人々の目に触れてほしい本があるものだ。
これを見つけるのは、司書の方々、学校の先生方、ボランティアで図書活動をしている方々、読み聞かせのお母さん方で、本当に草の根の活動だ。
一生日の目を見ずに終わる良書も多くあることは疑う余地もない。
自分で言うのも何だが『いきものたちのうた』は、大人にも子供にも心に栄養を与えてくれる良い本だ。

ところで、「ともき」という名前は、新進ピアニストの名前から頂戴した。
https://www.piano.or.jp/enc/pianists/detail/251
いつも登場人物の名前を決めるのには苦労する。
初めは、「くにちゃん」だったが、「ともや」になり、「ともき」に変わった。
「ともき」は、「友」「知」「共」「伴」「智」「木」「樹」「輝」などを連想させ、読者にいつのまにかこのような漢字のイメージを与えることが予想されるからである。











by Kinotomii | 2015-11-29 17:44 | | Trackback | Comments(0)

TSUTAYA押熊店

久しぶりにお天気がいいから、本屋さんに委託配本をお願いに行こう、という気分になった。
今日は夫が朝からシチューを作ってくれているから、心に余裕があった。
委託配本というのは、本屋さんが売りたい、又は売れそうだと思う本を、まずは預かることだ。預かっているから、一年経って売れなければ、配本取次会社に返すことができる。
取次会社の一つが日販だ。
「朱いちゃんちゃんこ」は、日販が取り次いでくれている。
本屋さんはそこを見て、取引があれば、そこに注文すれば良いわけだから話が早い。
また、本には、その本の標識のようなものがある。
番号と言えば良いか。それがISBNというものだ。この後に番号がずらずらと並んでいる。
これを持っていなければ、本屋さんは置いてくれない。

いつもDVDを借りていたTSUTYAさんに入ると、本のコーナーが広く大きくなっている。しばらく来ない間にまるで本屋さんみたいになっている。
最初はレンタルビデオ屋さんだった。
ここで沢山のビデオを借りた。
そのうち書籍コーナーができた。、、と思ったら、当時の2倍には広がっている。
世の中に本が多いということ。そして、さして売れ行きが良いわけではないこと。

若い店長さんは昨日着任したところらしく、恐る恐る本の委託を切り出すと、
「地元の作家さんということで、平積みにして積極的に売って行こうと思います」、とおっしゃってくださった!!!
神様に感謝。
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これが新刊委託の注文書。
ファクスできるようになっている。
M氏の助けを借りて作成したもの。




by Kinotomii | 2015-04-23 21:40 | | Trackback | Comments(0)

本屋回り

本に囲まれる幸せは、幼い頃から最高のものだった。
無意識に活字を追っていたこども時代。
できれば職業は、書店員か図書館司書を望んだ時期もあった。

本は4月末の刷り上がりだが、その前に書店回りをするのが新刊本が出る時の慣例なのだそうだ。
そのために帰ってきた故郷の宮之城。
高校を出てから40年近く経った。
両親の介護などで何回もレンタカーで走った宮之城だが、この10年の間に確実に変わった。
あの頃の、暖かくちょっと香ばしい空気を持った宮之城に、いつの間にかTSUTAYAができた。
賑やかだ。
店長さんを、と告げると、本入荷の係りという女店員の方があらわれた。
珍しく東京アクセントの方で、どちらかというと相談を受けると言った風情である。本に関わる者同士というか、似た空気を感じる。悪くない。
年齢は娘くらいの方ながら同僚のような気がする。
思い返せば、前の本の時も本屋回りをしたが、どこも親身になって応対して下さった。
親身になって、ISBNを取っていなければ無理だ、と丁重に断られてきた。
今回はISBNも取っているんだ。引き下がれない。
一緒に行ってくださったIさんを背に、背水の陣。
と、
そこへ、若くて背の高いハンサムな店長が登場。
話が速い。
素人営業屋は、ホッとする。
名刺と下のようなチラシをお渡しする。
色が実際の本とは大幅に違っているが、ここは仕方が無い。
プリンターの調子が悪かったのだ。
その場で15冊の注文を約束して下さった。地元の作家ということで。
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右側の注文票は、スリップ?と言って、本屋さんが出版社への注文に使う。
友人のMさんにpcで作ってもらったものだ。こんなことも、一々初歩から。
この前に3冊出しているが、全てHBスタジオからの企画商品として出されているので、私は書くだけで済んだ。
今回はいろいろと勉強もしなければならない。
「ポップはありますか?」
と尋ねられる。
ポップというのは、書棚に本を並べたときの目印に使う栞のような、旗のようなものだ。これも出版社に注文すればお金だから注文しなかった。
代わりにDM用のハガキ500枚作ったので、見せると、これをポップ代わりに使います、と言ってくださった。

本当は次のような色です。

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「 朱 い」は、あかい と読む。
この朱という色は、杉や檜を切った時に真ん中が
赤茶色をしているが、あの色だそうである。
香りもそこは特に強く、又木質も硬い。
内容も芯のピリリと強い、ほのかに良い香りが漂う気持ちの良い本になることを願ってつけた題名だ。



by Kinotomii | 2015-04-17 04:18 | | Trackback | Comments(0)