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やりたいこと、行きたいところ、話したい人、書きたいことが多すぎて。
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TSUTAYA押熊店

久しぶりにお天気がいいから、本屋さんに委託配本をお願いに行こう、という気分になった。
今日は夫が朝からシチューを作ってくれているから、心に余裕があった。
委託配本というのは、本屋さんが売りたい、又は売れそうだと思う本を、まずは預かることだ。預かっているから、一年経って売れなければ、配本取次会社に返すことができる。
取次会社の一つが日販だ。
「朱いちゃんちゃんこ」は、日販が取り次いでくれている。
本屋さんはそこを見て、取引があれば、そこに注文すれば良いわけだから話が早い。
また、本には、その本の標識のようなものがある。
番号と言えば良いか。それがISBNというものだ。この後に番号がずらずらと並んでいる。
これを持っていなければ、本屋さんは置いてくれない。

いつもDVDを借りていたTSUTYAさんに入ると、本のコーナーが広く大きくなっている。しばらく来ない間にまるで本屋さんみたいになっている。
最初はレンタルビデオ屋さんだった。
ここで沢山のビデオを借りた。
そのうち書籍コーナーができた。、、と思ったら、当時の2倍には広がっている。
世の中に本が多いということ。そして、さして売れ行きが良いわけではないこと。

若い店長さんは昨日着任したところらしく、恐る恐る本の委託を切り出すと、
「地元の作家さんということで、平積みにして積極的に売って行こうと思います」、とおっしゃってくださった!!!
神様に感謝。
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これが新刊委託の注文書。
ファクスできるようになっている。
M氏の助けを借りて作成したもの。




by Kinotomii | 2015-04-23 21:40 | | Trackback | Comments(0)

山菜おこわ

山菜おこわ、この贅沢な響き。
亡くなった母の得意料理だった。
77歳の倒れる前まで、父の好物であることと、ご近所の方々が喜んでくださるので、
曲がった腰で台所に立って、大量にこしらえたものだ。
時には、子供たちに送ってもくれた。
その妣も逝った今、私があの味を引き継ぎ嫁さんたちに伝えなくては。
今こそ、母が自信を持っていた山菜おこわを。

田舎からお土産にもらってきた山菜がたっぷりある。
私は、赤飯、つまりおこわが得意料理である。
母から伝授を受けた作り方で、しっとりと、かつプチプチのおこわを作れる。
山菜おこわは、山菜を煮込むところが一手間増えるだけで、後の作り方はあずきと変わらない。
鶏肉を小さめに刻み、タケノコ(破竹含む)、わらび、ふき、の家の材料だけで具を作る。
ダシの効いた汁に、砂糖、みりん、薄口しょうゆ、しょうがも少し、それと、カツヲ節をピーラーで削り入れた中で煮詰める。
後は、一度蒸しの後、具を混ぜ、二度蒸しして出来上がり。
湯気が立って、ぼやけています。
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by Kinotomii | 2015-04-22 20:34 | 旅日記 | Trackback | Comments(0)

アクマキ

アクマキ、とは鹿児島の粽のことです。
大分 全国区になっていると思いますが、実際に本場でできたてを食するのは、また格別のおいしさです。
これがアクマキの外観。くるんでいるのは竹の皮。
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水に一晩くらい漬けて柔らかくなったもち米を竹の皮でくるみ、灰汁の中で6時間以上煮たもの。保存食である。
鹿児島は竹の古里と言っても良いほどに竹林が多い。
中国から最初に竹が入ったのが、当時の薩摩国と言われているので、実際、日本における竹の故郷と言っても良いかもしれない。
竹は、古代隼人が大和朝廷に召し抱えられる時に、竹製品の技術とともに大和国に移植したものか、関西の隼人の移住地には、竹林が多い。
講釈ばかりが多く一向に本題に入れないのが、このブログの特徴です。

さて、そういうわけで、鹿児島には竹林が多いのに伴って、竹の皮も立派なのがこの頃は道の駅などで売られている。
これを、やはり一晩くらい水につけ、タワシで外側の毛を綺麗にこすり取り、その内側に餅米を包み、ヒモで縛って中の米がこぼれないようにする。
注意するのは、米は煮えると増えるので、それを計算に入れガサガサ状態でくるむこと。

さて、あく汁の作り方だが、自分で作ったことがないので親の作るのを見て覚えたのと、友人たちの口伝による。
「あく」とは、灰の汁のこと。
竹、ミカンの木、その他、いろいろな木の灰を、ざるに敷いた木綿の上に載せ、上から水をかけて濾す。。シミシミと、これも一晩くらいかけて灰の汁を作る。
灰の種類によって、アクマキの香りが違うそうだ。

次は、大きな大きなあく汁を入れた釜の中で、竹の皮につつんだ粽を煮ること6時間以上。
失敗すると、米に芯があったり、色ムラがあったりと、案外難しいそうだ。
それで、このようにして、道の駅、スーパーなどで売られているアクマキのお値段は、350円から280円までいろいろ。
c0356158_09030530.jpg
裏側に作った人の名前が書いてあるので(地元の婦人たちが会員になっていて、手作りを出されるのです) 好みのアクマキを買うことができる。右側のは蕨の束。これで150円。

実際、使った灰の種類により、香りが違う。
みかんの木の灰は良いそうだ。
最近は、重曹をいれて煮てあるものも多い。
トロトロの柔らかさになる。食感はわらび餅そっくり。
きな粉、あるいは黒砂糖粉で食べるのも同じ。
剥くとこんな感じ。
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アクマキは、樋脇町の婦人たちの生産グループが、この時期パックにして全国に送っても下さる。





by Kinotomii | 2015-04-22 20:14 | 旅日記 | Trackback | Comments(0)

破竹

昨夜、破竹のブログを書きながら、いつの間にか眠っていた。
タイトルが「おちおち眠っていられない」なのに、「眠くておちおち書いていられない」、になった。

さて、破竹の皮の剥き方を伝授いたしましょう。一々、下の方から着物をはぐように剥いていたのでは日が暮れてしまう。
もしくは、飽きて疲れて破竹を食しようという気分も失せてしまいましょうほどに。
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破竹の皮を剥くのにはコツがあります。
上のように穂先から3分の1ほどのところに包丁を入れたら、穂先を皮のついている向こうへ折り曲げ、そのままぐーーっと下まで引っ張り下げます。皮を破り剥く感じ。案外簡単に剥けます。

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次に、残った皮をはぐようにくるくる剥く。

次のような裸ん坊になる。
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後は、斜め切りなり。ぶつ切りなり、そのまま野菜として使う。
結構柔らかく、くせ、アク、なし。歯ごたえ良好。
道端に生えていたらぜひ、お試しあれ。

昨晩のおかず。

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皿の中のはシメモン、という鹿児島の野菜の煮付け。よく中皿に盛ったものだから、「シメモンの中皿」と言った。
昔からの伝統料理。花見や、村の祭り、祝言、葬式、、、いろんな集まりに、必ず登場した料理だった。
本当は、これに、コンニャク、厚揚げ、ゴボウ、結び昆布なども入るが、春はこの三大野菜で完璧でしょう。
何しろ、筍、ワラビ、フキの三大伝統野菜(?今勝手に名付けた)が入った贅沢の極み、と言っても良いものなんですから。
左下のは、「つけあげ」又の名を、薩摩揚げ、と言う。
宮之城の戸木田ツケアゲ店から、作りたてを買ってきた上等品。
ここのは、つけあげのホンマもんです。関西にある「天ぷら」とか「さつまあげ」とか書いてあるものとは全く、と言っていいほどに違います。


by Kinotomii | 2015-04-20 17:54 | 旅日記 | Trackback | Comments(0)

本屋回り

本に囲まれる幸せは、幼い頃から最高のものだった。
無意識に活字を追っていたこども時代。
できれば職業は、書店員か図書館司書を望んだ時期もあった。

本は4月末の刷り上がりだが、その前に書店回りをするのが新刊本が出る時の慣例なのだそうだ。
そのために帰ってきた故郷の宮之城。
高校を出てから40年近く経った。
両親の介護などで何回もレンタカーで走った宮之城だが、この10年の間に確実に変わった。
あの頃の、暖かくちょっと香ばしい空気を持った宮之城に、いつの間にかTSUTAYAができた。
賑やかだ。
店長さんを、と告げると、本入荷の係りという女店員の方があらわれた。
珍しく東京アクセントの方で、どちらかというと相談を受けると言った風情である。本に関わる者同士というか、似た空気を感じる。悪くない。
年齢は娘くらいの方ながら同僚のような気がする。
思い返せば、前の本の時も本屋回りをしたが、どこも親身になって応対して下さった。
親身になって、ISBNを取っていなければ無理だ、と丁重に断られてきた。
今回はISBNも取っているんだ。引き下がれない。
一緒に行ってくださったIさんを背に、背水の陣。
と、
そこへ、若くて背の高いハンサムな店長が登場。
話が速い。
素人営業屋は、ホッとする。
名刺と下のようなチラシをお渡しする。
色が実際の本とは大幅に違っているが、ここは仕方が無い。
プリンターの調子が悪かったのだ。
その場で15冊の注文を約束して下さった。地元の作家ということで。
c0356158_21041370.jpg
右側の注文票は、スリップ?と言って、本屋さんが出版社への注文に使う。
友人のMさんにpcで作ってもらったものだ。こんなことも、一々初歩から。
この前に3冊出しているが、全てHBスタジオからの企画商品として出されているので、私は書くだけで済んだ。
今回はいろいろと勉強もしなければならない。
「ポップはありますか?」
と尋ねられる。
ポップというのは、書棚に本を並べたときの目印に使う栞のような、旗のようなものだ。これも出版社に注文すればお金だから注文しなかった。
代わりにDM用のハガキ500枚作ったので、見せると、これをポップ代わりに使います、と言ってくださった。

本当は次のような色です。

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「 朱 い」は、あかい と読む。
この朱という色は、杉や檜を切った時に真ん中が
赤茶色をしているが、あの色だそうである。
香りもそこは特に強く、又木質も硬い。
内容も芯のピリリと強い、ほのかに良い香りが漂う気持ちの良い本になることを願ってつけた題名だ。



by Kinotomii | 2015-04-17 04:18 | | Trackback | Comments(0)

天平の宴(うたげ)

 表題は「てんぴょうのうたげ」と読む。御膳の命名です。名前からわかる通り、天平時代の料理を再現して供する御膳である。一人当たり12000円。我が家の経済状態には贅沢なので、これまで知ってはいても食したことはなかった。しかしこのたび、夫が45年間の仕事人生からめでたく退職した。その記念に予約したものである。
思ったよりおいしく贅沢な時間を頂いた。20種類の料理が、2時間かけて料理長とおもてなし美女によって供される。

 さて、
もう40年近くも奈良市に住んでいるが、残念ながら、ここが自慢、というところが見いだせないでいた。土産物といっても、高すぎる奈良漬け、高すぎる柿の葉寿司、どこにでもありそうな大仏饅頭、変わったものと言えば「鹿のふん」というピーナッツを黒砂糖かチョコレートでくるんだもの。食べたことはない。奈良においしいものなし、(志賀直哉)というのだそうである。やっぱりねえ。

帰省するときいつも困る。代わり映えのしないお土産の割に割高なのである。それに奈良県人はケチである。まける、という文化を知らない。愛想よくする文化も知らない。いつぞやは、肉屋で牛肉300グラムくらいを買って、1000円を2円くらい上回った。あいにく1円玉がないので、1050円出したら、おつりがなかなか見つからないようで、奥の奥さんに何とか言っている。「2円くらい負けたらいいのに」とこっちはいらいら。にも拘わらず、まだ探している。結局どうしたのだったか、後が思い出せないが、1円単位の料金に1円も負けられません、の態度だけが強烈に残ったため、以来そこには行ったことがない。たまたま近所の奥さんに、「あそこはおいしい」と聞いた地元の肉屋だった。わざわざいつもは行かない商店街まで行ってこの後味の悪さ。ことほど左様に、奈良人は商売も下手。

 ところが、ずいぶん前から知ってはいたが、値段が高いために決心がつかなかった奈良パークホテルの「天平の宴」
http://www.narapark.jp/tenpyou/をいただきに出かけたという次第。

写真を見ると、さほどおいしそうには見えなかった。珍しいだけなのであろう。でも何かの話のタネに。また、奈良に住んでいながらこれを知らないのは、やはりようない。

 当日は、まず天然温泉にユックリと浸かって(無料)、12時からの始まり。
12時になると、天平時代の服装をしたいでたちの背の高い美女が現れた。
いざなわれて天平の部屋に到着。
「中が暗いので、お足下にご注意ください」
との言葉通り、4畳はありそうな広い玄関は薄暗い。わざわざ玄関がある。当時の雰囲気を再現しているのであろう。
座敷に入ると、「ほおおおお~」と思わずため息が出た。
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奈良時代の雰囲気を残したしつらいがしてあり、やはり薄暗い。上座の床の間に当たる板の間に、瓶に赤米の穂というのをどっさり活けてある。なんと素晴らい雰囲気! でもこの暗さでは写真は撮れない。
客は、私たち夫婦のみ。二人のためにわざわざ料理長が腕を振るってくださる。全部で20種類の料理が出る。
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それらがことごとく、一品一品丁寧に仕上げてある。結果からいえば、すべておいしい。こんなおいしいものいただいたのは、子供の時以来ではなかったか、という気持ちになった。

なぜなら、素材の味がそのまま出ているのである。当時はあまり味付けはしなかったらしいが、その代わり、魚も鹿肉やイノシシ肉やタコまでも、乾燥して遠地から都に税として送られてきたらしい。当時そのままに、乾燥したものをもどして使っているという。そのため、味が凝縮されている。まったくおいしい! 

お勧めは「蘇」というチーズである。当時も牛乳を煮詰めて作ったチーズはあったらしい。固形カレールーのような外見をしているが、薄く切って供してあるそれを口に入れると、こくとほんのりした自然の甘味があり、いつまでも食べていたいようなおいしさ。次からはこれを他県人へのおみやげにしよう。小さい固形が2個セットで1000円だというが、小さいのに価値があるところも気にいった。



by Kinotomii | 2015-04-11 12:28 | 旅日記 | Trackback | Comments(0)

原子力発電のしくみ

恥ずかしながら、この歳になるまで原子力発電のしくみを知らなかった。原発原発と普通の知識のように思っていながら、どうやって電気を作るのか、展示館で勉強するまでとても複雑で普通の人間には理解できないくらい難しいのだろう、と思い込んでいた。
 結局、加圧水型原子力発電のしくみは火力発電と同じである。
熱で蒸気を起こし、その蒸気の力で巨大なタービンを回し、その力を発電機に伝えて電気を作る、というしくみになっている。

 パンフレットによれば、川内原発では、蒸気を作るための熱を原子炉内での核分裂の時に生じる熱を使って水を熱している。そして蒸気を発生させる。一方、火力発電は、油を燃やして水を熱し、蒸気を作っている。蒸気の力でタービンを回すという構造は同じ。熱の種類が違うだけ。
 火力発電はわかりやすいが、油を燃やすために二酸化炭素を大量に発生するし、油は外国から買わなければならない。
 一方、原子力発電の原子炉内には莫大な量の二酸化ウランというものが内臓されている。
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写真の青く光っている部分は、原子炉を縦に切って中を見せたものだが、あの棒は、「燃料棒」というもので、1本当たり約320個のペレット状にしたウランが詰まっている。原子炉内には、157体の燃料棒が納まっていて、原子炉内の全ペレット数は、約1,320万個!!であるそうだ。容器の厚さは約20センチだそうだが、ひびも穴もあくのよね~。
 もっと簡単に、負の部分を発生させない電気の作り方はないものだろうか?
あるいは、電気に代わるエネルギーの発見。空気からエネルギーを発生させるとか・・・。
水力、風力、火力、潮力、太陽光、そして原子力、人類はさまざまな挑戦と工夫によって、エネルギーを調達してきたが、高校時代、物理で、原子、分子、の勉強をしたときに思い描いたエネルギー作成の方法を思い出す。結局、放射能を出さなければいいのでしょ?ならば、物質(もっと厳密にはゴミ)を分解させ、分裂させ、放射能を発生させないでエネルギーを作れないものだろうか。おとぎ話とはわかっていますよ。しかし、人間は、空中農園まで作ってしまうあきれるほどの知恵を持っているのだから。




by Kinotomii | 2015-04-09 11:39 | 旅日記 | Trackback | Comments(0)

川内原子力発電所の歩み


2015年4月8日

川内原発は川内市の海岸寄り、川内川河口近く久見崎町(ぐみさきちょう)に立っている。敷地面積は145万㎡。うち、10万㎡が埋立地とか。

小学校2年の遠足は、久見崎海岸だったことを思い出す。
海など見たことのない子供も多かったあのころ、白い砂地がはるかに広がる美しく広大な海の景色は、8歳、9歳の子供たちの胸を躍らすに十分だった。
久見崎は海水浴場として、その後も学校行事や、部落の遠足などでたびたび訪れた。この地方一帯の住民の、心のオアシスだった。

 ただ抽象的な意味というだけではなく、歴史的にも、多分1000年以上前から東シナ海のかなたや中国洛南地方からのヒトの漂流を受け止め、それらの人々が川内川をさかのぼり、何世代にもわたって少しずつ奥地に移住を促進していった、まさに川薩地方の起点となる場所だと思っている。
先祖たちの人の流れはこの海岸線から川内川沿いに移住地を求めることに始まっていったと思う。

 その地に、原発の誘致が決まったのは、昭和39年12月。
川内市議会の決議からである。
その後、1号機の原子炉設置許可が出たのが、昭和52年12月。
13年かかっている。
その1年後に基礎掘削を始め、1号機の初臨界が58年8月。
臨界、という言葉にはジンマシンが出そうだ。東北を思い出す。
1年後の59年、1号機の営業運転が始まった。
続いて、2号機の営業運転が始まったのが、昭和60年11月。私が35歳のときのことになる。

 このころ、川内の人々の思いはどのようなものだったのだろうか。補助金も下りるし新幹線も来る。
原発はクリーンで幾重にも安全対策がなされているから、事故などは99パーセント起こりようがない…、と言ったかどうか知らないが。
そのころ、新幹線車両の操車場の予定もあったと聞くが、議員が変わった途端予定は簡単に変更され、新幹線は止まることになったが、当初描いたような儲け話は泡と消え、田んぼを早々とアパート用地に変えた地主の中には、借金が膨らみ不幸な結果になった人々もあったと聞く。あくまでも噂話であるが。
政治家の力量はどこで評価すれば良いのか!

 この10年、両親の介護のため、故郷に帰省して川内の街を走ることが多かった。数十回は走っただろう。
その時気になるのは、大きなパチンコ屋がいくつも建っている景色のことだ。そこだけが駐車する車の多さだ。真昼間からパチンコか!! 
しかし、仕事がなければ無駄な時間だけが余る。
若い者は都会に行ったきりUターンする気もないから、老人だけでは田んぼも作れない。
山の木は安くなっているから手入れする気にもなれない。
結果、刹那的な慰みに走る。
パチンコ中毒になってやはり不幸な結果を招いた人々が出る。
それを、仕事を与えることもできない誰が非難できようか。
もう少し中央の政治がシッカリしてほしい。行政もしっかりしてほしい。

 昨日、せめてふるさと寄付でもしようかと思って、ホームページを開いたら、テレビなどでよく見る「1万円したら5000円のコメをお礼に送ります」といった類の都合のよいしくみはないようだ。半分は県に半分は市に寄付されるとか。
 この地域にはおいしいものがわんさとある。私は同級生の友人たちが集まっては味噌つくり、むっかん作り、ジャム作り、と休む間もなく活躍しているのを知っている。
それらがまたこの上なくおいしい。素材の味なんですよね。
魅力はごろごろ転がっている。 この件については次の機会に書くことにして。
 とにかく、こんな田舎の事情だから、背に腹は代えられぬ、の類で、原発は悪いことなんですよ、と叫ぶことだけが正義なのか、と、腹のすいたガラッパチたちは口を閉ざしつつ複雑な毎日であるはず。

by Kinotomii | 2015-04-08 08:59 | 旅日記 | Trackback | Comments(0)

川内原子力発電所

去る3月4日、故郷に帰ったついでに-ついでに、と言っては何だが-初めて川内原子力発電所の展示館に入った。こんな風に勉強したのは初めてである。10時ころ、夫と二人で入っていくと、この日初めての見学者らしく、二人に3人の受付嬢がさっと立ってのお出迎え。詳しく説明していただいた。
その時撮った実物大原子炉模型の写真がこれ。高さ12メートル、幅4,5メートル。こんな感じに美しく灯る。美しいけど、何だか本当に気持ちが悪い。 色々説明していただいての感想は、こんなにまでお金をかけて装置を作り、またややこしい方法で発電し、そのあとのいらなくなったウラン燃料の置き場所に、これまたお金をかけて、膨大な無駄をしているような気分になる。ところが、火力発電よりは安く発電できるというのだから、もう電気を使うのをやめたい気分になる。 

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下の写真は展示館から撮った建屋である。
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この辺を車で通りかかると、ほかの車両の影なく、ぽか~んとした気味悪さにとりつかれる。

 原子力を使わなくても日本の発電量が十分ならこんな危険なものはない方が良いに決まっている、と常々思っている。思っているだけで、詳しくかかわろうともしなかった。故郷の知人の中には反原発に入れ込んで、運動を活発にしていらっしゃる方もあるそうだ。聞くところによると、ここでできた電気は鹿児島では使わないそうだ。すべて福岡に持っていっているという。ここは、首都から遠く離れた辺鄙な土地だから、万が一事故が起きても首都機能にはあまり影響がない、というのも一つの理由だろうが、産業がなく、仕事がなく、町がどんどん衰退していく、商業も農業もすたれる、活気がなくなっていく、若者がいなくなる、町が寂れる、、、、。それの補完?代替産業?の代わりに、若い経営者たちの間で、再稼働への希望が多いと聞く。
 川内原発は、再稼働一番目として、点検が始まった。
この頃、いつも泊まっていた1泊3500円の旅館が、それ関係の人々で満杯で、たまの帰省者は泊まれなくなった。駅前のビジネスホテルも、それ関係かな、と思える労働者のような人々やダークスーツを着た人々の姿が目につく。

by Kinotomii | 2015-04-06 22:38 | 旅日記 | Trackback | Comments(0)