人気ブログランキング |

やりたいこと、行きたいところ、話したい人、書きたいことが多すぎて。
by Kinotomii
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る
カテゴリ
全体
宗教
音楽
環境

旅日記
雑記
親子関係
食べ物
未分類
以前の記事
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 07月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
お気に入りブログ
アトリエkotori*の...
年金だけでも楽しく暮らし...
還暦からのネイチャーフォト
野鳥の素顔 <野鳥と日々...
アリスのトリップ
Lady Satin's...
写鳥楽
今日の易の言葉
最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
初発心の菩薩
at 2019-08-15 17:24
アーティカス
at 2019-08-07 17:01
表現の自由とは? 二宮金次郎..
at 2019-08-07 15:57
『袈裟のはなし』久馬慧忠(き..
at 2019-08-01 23:14
京都市交響楽団第636回定期..
at 2019-07-30 18:33
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
シニアライフ
音楽
画像一覧

<   2015年 12月 ( 7 )   > この月の画像一覧

カルチエの指環 ①

大阪に向かう朝10時頃の電車の中。
混んではおらず、シートに腰かけてから気づいた。
右隣の単行本を読んでいらっしゃる紳士が、女ものの美しいスカーフを膝に広げて、その上に本を広げて読んでいらした。
変な人かな…?
と、気づかれないようにお顔をうかがうと、そんな様子でもない。
チラと本の内容もうかがうと、小説のようである。
と、その時、紳士の左手薬指に光っている指環に目が留まった。
何と、カルチエの定番の三連指環である。
反射的に自分の左手薬指を見た。
その日私は、自分の秘蔵っ子であるカルチエの三連指環をしてきていたのである。
自分の指環の中で最も高額の、ここぞ、と言うときしかはめたことのない気に入りの指環なのであるが、たまたま隣に座っておられる殿方が同じものをしていらっしゃるとは!

私は、自分の指環と紳士の指環を目玉だけを動かして見比べた。
その紳士は、カルチエの外側に結婚指輪もしていらっしゃる。
カルチエのこの定番の有名な指環は、殿方がするものではなく婦人用である。
それも、若い女性はまずしないであろう。
中高年の婦人に似合うのである。
私はこの指環を、アルバイトをしていたときの収入一か月分すべてをつぎ込んで買った。
10年以上前のことである。
そのころ、思い通りにいかないことがあって、落ち込んでいた。
みじめになる気持ちを奮い立たせるため、「え~い」と清水から飛び降りたのである。

と、こんなことはどうでも良かった。
お隣の紳士である。
同じ指環を見た時に、私はほぼ瞬間的に紳士の奥様のことが頭に浮かんだ。
奥様の指環であろう。
形見の品…、奥様がお好きであったこの指環を、形見としていつも身に着けておられるのだろう。
膝のスカーフと言い、常に妻と一緒にいるお気持ちなのに違いない。
良いものを見せていただいた……。

ふと左隣の夫をうかがうと、変わり映えのしない顔で居眠り寸前であった。




by Kinotomii | 2015-12-28 23:18 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

お正月③

31日になると、大掃除をすっかりすませた庭で、鶏のこしたえ、が始まる。
「こしたえ」とは、生きた鶏を1羽ごと解体し料理用に仕分けることである。
鹿児島の農家では、たいてい庭で鶏を飼っている。
お正月などの目出度い日に、そのうちの1羽を犠牲にするのである。
もし、三遊亭歌之介http://utanosuke.net/schedule.html
の落語をご存じなら、あの通りなのである。
そして、野菜と共に甘辛く煎り付けた骨付き鶏料理「鶏の中皿」用と、かしわ(鶏のおさしみのことをこう言う)、ササミ、卵、と取り分ける。

こしたえが終わると、家庭の主婦は正月料理にとりかかる。
思い出す限りでは、「鶏の中皿」「をばの酢味噌」(「をば」とは、クジラの皮?の部分の油を抜いて漂白したところである。自信はないが。クジラ漁ができなくなった現在ではなかなか手に入りにくい。こりこりとおいしい)干しエビの入った雑煮、豆の甘煮、鶏かサバのおさしみ、サバの昆布巻(極上の味である)、もっとあったと思うが、忘れてしまった。これらを塗りのお盆に一人前ずつセットし、小さい子供も会席スタイルで正座していただくわけである。
家庭の主婦は、毎年手抜きすることなくおせちを作ることは大変だったと思うが、世の中がこれを当然としていたので、怠ける事を考える暇もなく、むしろ、自分の家独特の味や煮方や材料の調達の仕方を工夫することを矜持としていた風がある。
昔の父たちも母たちも立派だった、とつくづく思う。

手作りの注連縄を、玄関、勝手口、厠、井戸、荒神様(どこの家にも、庭の東南の隅に、石の荒神様が据えてあった)、牛や豚を飼っていれば牛小屋兼納屋にも飾り、家長の役割は大体終わる。
夜は「紅白歌合戦」を家族全員で見るのが習いで、今と違い、NHKも面白かった。

10時頃になると、父はそば打ちを始める。
長く細いそばではなく、短くてぽろぽろ切れてしまうようなそばだけど、自家の畑で採れたそばの実を粉にしてもらった本物のそば粉で打つのである。
母は鰹ぶしを削り器で削った、これも本物のかつを節のダシを取り、甘口の醤油で味付けをして、ネギをたっぷり効かせた「したじ」(だし汁)で味わったものだった。

時計が夜中の0時を打つと、部落の役の方が公民館に下げてある鐘をついていた時期があった。
108つ搗いていたのだろうか。
ごく幼いころだったようだ。
鐘は何か異常な事態(火事や川の増水)が起きた時にも搗いていたから、確かに公民館に吊るしてあった。
梯子の上の小さな金銅製の鐘だった。

これを聞くと、全員が正座に座り直し、父も母も
「明けましておめでとうございます」
と、互いに礼儀正しく挨拶をする。
すると父が、小さなポチ袋に入れたお年玉を配る。
それを枕の下に入れて寝た子供時代。
楽しかったなぁ。

つい食べ物のことばかりにページを取ったが、珍しいのはここからである。
鹿児島では、元旦はあまり外へは出ないこととされていたように記憶する。
出るときには、木戸口から玄関へと白砂を撒いたその上だけを歩かなければならなかった。
白砂は、玄関から厠へ、井戸端へ、荒神様へ、と幅1メートルくらいの道様に撒く。
多分、三が日は神様が支配する日であり、神聖な空気を人間が乱すのは良くないが、最低限の用事を果たすためには外へ出なくてはならないから、その場合は、清められた白砂の上を歩く、とこういうことだったのだろう。
地域によっては、雪が降ったように庭いっぱいに撒くそうである。
このことを考えると、元旦くらいは家族全員家におり、静かに来し方行く末を考えるのもよいことだ。

いつからだろう、デパートもスーパーも遊園地も、元旦も何もなく開けて集客を図り儲けのことを考え出したのは。
ところが、来年のお正月、東京の新宿伊勢丹や銀座三越では初売りを1月3日から行うそうである。
これに賛成の意見やまないそうである。
東京は初売りを2日からとしているところが多い。
世の多くの人々が、お正月まで日常と変わらないことに飽き飽きしているに違いない。
良いことだ。
せめて元旦くらいは、どこの店も開いていない、不便だ、という経験を思い出さなくては!
これこそ新鮮だ。







by Kinotomii | 2015-12-28 22:48 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

お正月②

青々とした竹垣が出来上がると、家がピシッとして引き締まる。
おのずと、子供の身ながらピシッとしてくる。

次に、木戸口に立てる門松の砂を、決められた所定の場所に取りに行く。
所定の場所とは、村々で取決めされた砂取り場があるのだ。
鹿児島はシラス台地から成っている。
リヤカーや猫車を使って白砂を取りに行くのも、大方は父の仕事だった。
その砂で、木戸口に二つの円錐形の砂山を作り、そこに、松、竹、実花をはじめとした決められた木々を差して二つの門松を作り、神を迎える体裁を整えるのである。
子供のころ、父と一緒に山に入っていき、これらの木々を切り、ゆっさゆっさと揺らしながら揚々と帰ってきた山道は楽しかった。
なぜあんなに楽しかったのだろう。
親子で何かをするということが、あんなにも楽しかったとは。
父は行事に関するすべてを知っており、自信にあふれ、力強かった。
だから、子供たちも悠々としていられた。

30日になると親戚近所が寄り集まって、一つの臼で餅を搗く。
大きなかまどに釜をかけ、木と竹でできた四角い蒸篭(せいろ。蒸し器)を3段くらい積み重ね、たきぎを燃やして蒸し上げる。
あの当時、まだ杵をふるう男手が何人もあって、主婦たちは姉さんかぶりで、差し手を入れる。
何人もの搗き手に何人もの差し手、子供たちの数はもっと多かった。
よいしょ、よいしょ、と声をあげ、間違うと大きな笑い声が起こり、大人も子供も、庭いっぱいににぎやかに行事が繰り広げられた。

本当に楽しかったなあ…。

蒸しあがったもち米を臼に移した後の、竹のヒゴにこびりついたもち米を、子供たちは舐めるようにして食べた。
蒸したすぐのもち米のおいしさは、何にも表現できないくらいかぐわしくおいしい。
米の旨味を凝縮している。
この味は、日本がIH炊飯器に変わって以来、日本から消えた。

餅が搗きあがると、大きな平ざるに餅取り粉を真っ白にざーっと敷いた上にどさっと下ろす。
さっそく、女たちが手のひらを真っ赤にしながら、形を作っていく。
最初に作るのは、御鏡餅だ。親戚3軒で共同で行っておれば、3つの鏡餅を作らねばならない。
上手な人も苦手な人もおり、母はおおざっぱで苦手なのに、本家の主婦の貫録で、この役割を任せてもらえることが多かった。
伯母たちの心使いだったのだろう。
あるいは、自分が率先して働かねば、という気負いがあったのだろうか。

鏡餅が終われば、手でちぎりながら小餅を作っていく。
ついでに、蒸したサツマイモを一緒に搗いて、「ネッタボ」と呼ばれる鹿児島の芋餅を作った。
これは美味しくて、手に熱い餅をくっつけながら、ひーふー言って庭中を走り回りながら食べた。
大人も子供も一日中餅つきに追われて、大人はしんどかったのかもしれないが、子供たちはこの日ほど楽しい日はなかった。
白く輝くような餅が縁側の隅に積み重ねられ、新聞紙をかけて元旦まで寝かせられる。
子供ながら、小さな家が黄金の家のように豊かになった。
嬉しかったなあ。


by Kinotomii | 2015-12-26 08:38 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

お正月①

子供のころのお正月は楽しかった。

鹿児島では、まず、家長が孟宗竹を切り、枝を払い落すところから始まる。
使うのは、まだササのついた枝の部分である。
子供のころ、村の家々は、屋敷の回りをササ枝で垣根を作って囲ってあった。
このササ枝の垣根を、竹垣と言う。
この竹垣を、お正月の前に新しいものに替えるのが、毎年の家長の仕事であった。
1年前のすっかり枯れて古くなった竹垣を外し、新たなササ竹に替える。
この手伝いに子供たちが駆り出される。
古い枝を運んだり、新しい枝を運んだり、縄で縛る間支えるのである。
この仕事だけが、体力も知力もいるので、力が弱く気の利かない私は、よく父親に叱られた。
現在ではこのような家は村に1件もなく、どこも石積みやブロック積みや槇の木などの垣根に変わっている。
なぜこんな面倒なことをするのか、と子供ながらに怪訝に思っていた。
大きくなってから古典を読むようになると、「笹垣」のことが文献に出てきて、なるほど、歴史的伝統のある習慣だったのだ、と少し感慨深かった。







by Kinotomii | 2015-12-25 20:41 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

うんまかもん

「うんまか」とは、標準語で「おいしい」という意味。
故郷の友人から送ってくる「おいしいものの詰め合わせ」が下の箱
c0356158_19343495.jpg
味噌(今回はあえて、発酵味噌だとか。いつもは麦みそ)、餅、
金柑の甘煮、豚味噌、生姜糖、手作りドレッシング等など。
金額にして3000円くらいだろうかと思う。
安い。
すべて土地のもの。手づくり。貴重だ!

故郷の女性たちは頑張っている。
元々農家だから、田に、畑に、山に、自然と果物や作物が実る。
これをほったらかしにはできないところから、主婦たちは熟練を積んで慣れたやり方で、さっさと作ってしまう。
ほとんどが年金暮らしになっているから、時間もある。

都市部に住んでいると、こんな風に団結して活動を継続することは、行政の旗振りがなければ難しいと思う。
地方の女性たちの方が、立派に自立していらっしゃる。
後は、こんな良いお土産品が、広く知れ渡り広がって、注文が押し寄せることだ。
いや、そこそこ押し寄せることだろう。





by Kinotomii | 2015-12-24 19:50 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

男の手

使っているスマホの具合が悪いので、近くの電気屋に店開きしているショップに行った。
対応した男の子の右手の爪にゲンナリした。
ギターか何かをやるためだろうが、爪を長く伸ばしている。
ふと後ずさる。

似た経験はこれまで少なくとも3回はある。
1回は、はるか昔の眼鏡屋だった。2度と行かなかった。
ここでもオバサンの権限(?)で、よっぽど注意しようかと思ったが、この親切心にもエネルギーがいる。
「変なオバハン」と思われるのが関の山、とやめた。

手は、その人の脳を表すという。
最近の日本の男たちの手のシナシナさ、クネクネさはどうだろう!
なま白くて、指が細くて、力もなさそうに見える。
無理もない。
力仕事などはしたことがないのだろうし、家事万能の65歳のこの私の手の方が、よっぽど男らしい。
私の世代の主婦たちは、働くことが主婦の値打ちであった。
おしゃれはすることもあるが、あくまで従のほうである。
「ママ」になるよりは「お母さん」になることが、歓迎されたように思い返す。

一方、かつて熱心に見ていたことのある韓流ドラマの男優たちは、皆男らしい力強い手をしていた。
韓国はいまだに北朝鮮と戦争中で、徴兵制のある国である。
「千年の愛」「ごめん、愛してる」を見て以来大ファンとなったソ・ジソプも、俳優として人気の頂点にあったときに丸刈りになって、1年間の軍隊生活を送った。
ソ・ジソプの手は大変男らしくて、しかも美しかった。
韓流ドラマのDVDを見ながら、力強い手が出て来るたびに、ほっと安心したものだ。




by Kinotomii | 2015-12-17 14:59 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

コウノドリ2

なかなかシビアなドラマである。
相変わらず、医師も看護師も助産師も若者であるが。
世の中にはベテランの産科医はいないのだろうか。

妊婦が子供を産むたびに、新生児がたびたび画面に現れるが、
本物の新生児なのだろうか、と疑いつつも、ドラマのスタジオにホンモノを連れて(持って?)くることはできないはず…、とさらに目をこらす。
本物としか思えない。大変リアルである。
しかし、かつてhttps://lms.gacco.org/courses/gacco/ga018/2014_12/about
で勉強した石黒浩教授のグループは、人とそっくりのロボットの開発に取り組んでいたはずだから、これはヒト型アンドロイドであるに違いない。
たしか、赤ん坊の動きも研究していて、それがまったくリアルだったから、ドラマのあれが完成品であろう、と勝手に推測したが、疑問を持っている人は多いらしくてネット検索してみたら、病院での撮影とスタジオでの撮影をつぎはぎしていかにも本当に赤ちゃんが生まれたようにみせかけているのだそうだ。
だから、あの生まれたての、羊水を垂らしながら取り上げられるへその緒も付けた新生児はホンモノですか?

お産のシーンもたびたび登場。
このようにして産むのだと、世の女性たちは仮想体験ができる。
隠すよりも良いことかもしれない。

一話ごとにテーマが異なり、今回は生まれながらに難儀な部分を持って生まれてくる子供の話である。
これが、一般人でも医学的に理解できる範囲でドラマの中で優しく述べられる。
妊婦さんたちは、知識過剰にならないのだろうか。
少し心配な気がする。
それにしても、本当に世の中には大変なことが多いなあ。
ドラマの作者は医療関係者であるに違いない。
最近、病院関係のドラマの多いこと。なんでやろ。

出産は一大事業と化した。
実際、なかなか妊娠しない夫婦も多いから、真剣にならざるを得ない。
高年出産だから、というだけでは腑に落ちない、他の、妊娠のシステムの狂いとでもいうか、肉体的、物理的、脳内環境的に社会の変化が関係する原因があるような気がするのだが。

いつのまにか、携帯電話の電波の脳への影響は、世間の人々は口にし なくなった。
食品添加物も、あまり言わなくなった。
賞味期限ばかり気にしている。
私等の高年世代は、あの賞味期限を気にする行動を大方馬鹿にしている。
自分の鼻と舌と勘で見分けなさいよ、と言いながら、1か月くらい過ぎた乾燥物など平気で食する。
今の30代、40代は、小学校で家庭科の時間に習ったそうで、全く学校教育とは大きな影響力を持つものだなあ。学校の先生方は、この辺を自覚していらっしゃるのだろうか。

洗剤はどうだ?
川を、海を汚すと市民運動の華やかなりしころを覚えているこちらとしては、最近の安保反対の騒がしさが、かつての、海を、川を汚すな、の運動とどれほど違うのかと、白けた気持ちで眺めるしかない。
濃縮洗剤となり、少しの量でいいのだというが、匂いの毒々しさや、1本がすぐなくなってしまうコンパクトさとこれに反する価格の高さ。
泡が出ないから川はきれいになっているのだろうか。
汚れは本当に落ちているのだろうか。
不十分だからこそ、余計な柔軟剤や芳香剤を売りつけねばならないのじゃないか。
何かこのあたりが変だ!

近所のおじさんからいただいた玉ねぎやサツマイモがすぐに腐るのに対して、スーパーで買った玉ねぎサツマイモは、いつまでも腐らない。
ガスを注入した生鮮野菜も長く保つ。
最近日本でプラスティックが減らないのも、生鮮品を長く保たせるために添加物が必要で、それをプラスティックで包むためではないのか? とベテラン主婦の分析はとどまるところなし。

利益だけを考えた社会構造のまずさが、回りまわって出産の減少、というところにつながるシステムを作り上げているとしたら?
一度根本的に、人が生きるのに最低限必要なことの取捨選択を行ってみる研究者が出ても良いのではないか。







by Kinotomii | 2015-12-06 22:52 | 親子関係 | Trackback | Comments(0)