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<   2016年 03月 ( 7 )   > この月の画像一覧

森信三(しんぞう)と坂村真民

「念ずれば花ひらく」の坂村真民記念館を訪れたのは、3月27日。
雲ひとつない晴れやかな空、
日の光がキラキラと輝き落ちてくる砥部の街に、それは静かに佇んでいた。

「l森信三と坂村真民展」は、爽やかな空気がみなぎっていた。
自然と穏やかでゆったりとした気持ちになる。

「人間は一生のうち逢うべき人には必ず会える。しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎないときに」森信三

失礼なことに、この言葉は自分が発見したと長い間誤解していたが、何処かで読んだ言葉だったんだなぁ。

「二度とない人生だから まず一番身近な者たちに できるだけのことをしよう」真民

八十八ケ所のお詣りのご褒美のようにここで出逢えた二人の巨人。
高山の和尚さんを始め、色々なご縁の収束として、65歳の今頂いたご縁だったと思う。
今でなければ、若い頃ならわからなかった自分だったのだろう。
出逢うべき時に出逢う、言葉も人も。




by Kinotomii | 2016-03-29 21:53 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

ヨモギ餅と豆の炊いたの

亡き母は、野の物を取ってきて食卓に乗せるのがすきだった。
元気なころは、畠の畔に生えたヨモギをいち早く摘んできて餅をつき、それを送ってくれた。
早春に屋敷の隅に小さなヨモギが生えると、せっせと摘んで、さも宝物のようにそのまま送ってくれた。
自然の中にいるからこそ、自然の変化が目につく。
自然のものを大切にする。

このヨモギ餅は、Nさんご夫婦が先日搗いて送って下さったもの。
c0356158_13530453.jpg

餅やタケノコを切るときに大変重宝する、このカッターは、昨年買った。
ヨモギがいっぱいで、焼いていただくとヨモギの香りが辺りに漂う。
本当のヨモギの香りです。
あ~あ、贅沢!!
ついでに、筍と大豆の煮たのを作ってみた。
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「かつを節」と昆布の味で、人工のものを全然使わない。
「かつを節」というけど、柔らかい「かつを節」で、野菜のピーラーで削って、どんな料理にも使っている。
鹿児島でしか見たことがないが、薩摩川内市市比野の「ゆうゆうかん」http://satsumasendai.gr.jp/spotlist/2162/ で売っている。
意外に安くて、2本セットで1300円。
お得である。こちらの友人に差し上げると、
「こんなに高いものを!」
と感激される。気に入らないという人は一人もいない。
料理がたちまち「ホンモノの味」になる。
田舎には、野菜、米、水を初め、思いのほか良いものがある。
現代の贅沢とは、こんなことを言うのだろう。




by Kinotomii | 2016-03-21 11:02 | 旅日記 | Trackback | Comments(0)

新たけのこと山野草

c0356158_13523611.jpg
この美しい筍。
友人が持ち山から堀りあげて、我が家に届いたもの。

若いころから筍が好きだった。
女性には筍好きが多いのではないか。
勘違いだったら申し訳ないが、有吉佐和子、向田邦子もそうだったと、物の本で読んだ。

筍には栄養はない、と、昔は言うものだったが、実はタンパク質や炭水化物という栄養素を超えた栄養が蓄えられているように思う。文字や数字にはならないのだが。

①成長が盛んであるところから、タケノコを食べるとその成長ホルモン(?)をいただいて、エネルギッシュで積極的な気質が養われる。

②何の根拠があるかわからないが、「髪」が美しくなる。
タケノコ好きには、髪ふさふさの人が多いとか…?とか。
美容師さんに聞いた。

鹿児島のN家の夕食の一部。
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タケノコづくし。
タケノコとアオサのお吸い物。タケノコとしいたけ(自家栽培)と厚揚げ(専門商店の手作り)の煮しめ。タケノコと卵の炒め物。茹でタケノコの酢味噌和え。
こんな豪華な夕ご飯が、ほぼすべて自家で賄ったもの。
これに、写ってはいないが、甑島から朝届いた白身魚のオサシミがついている。
田舎はつくづく豊かだと思う。
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茹でタケノコの上にあるぐるぐる巻いた野菜は、野蒜(のびる)。
野びるはどこにでも生えているが、細いので、これを料理に使うところまでこしたえる(枯れた葉などをむいて調理準備すること)のが難儀だ。
これを、Nさんは道々済ませて、ゆでたものを食べやすいようにくるくる巻いて…。

料理は愛情だと思う。
料理だけは、気を抜くとてきめんにぞんざいさが味に出る。
料理好きな人は愛情深い、と、65年生きてきて確信する。
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今、桃の花が盛りだった。




by Kinotomii | 2016-03-20 14:25 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

「さくら」を待つ間に

「さくら」は、新大阪から鹿児島中央駅まで走る🚅の名前である。
こうやってこの10年間、さくらに乗り、格安✈に乗り、親の元に介護で往復してきた。
そろそろ疲れたな、という感じがある。

大きなスーツケースを持ち、新大阪駅でさくらを待っていたら、年配の御夫婦が後ろに並ばれた。
例によって、話が始まった。
「どちらから?」「どちらまで?」
この御夫婦は、東京から鹿児島まで、お城巡りをしているという。

聞けば、最後まで自宅で介護した親御さんは、今はもうなく、こうして二人で好きなところに旅行三昧だと言う。
介護したのは御主人のお母様で、
「それは大変でしたでしょう‼」
とかえすと、
「とても楽しかった‼」とおっしゃるのにびっくりした。
その一端を示せば、トイレに行くのをいやがられたら、トイレまでのところどころに、お母様の好きな花を並べておくのだそうだ。
花を見ながら、いつの間にかトイレまでいざなうという趣向。
姑の世話をする嫁の話としては、最近珍しいな、と思う。
さくらの車内に入ると、残念ながら御夫婦は、グリーン車であった。
もっと面白いお話しが聞きたかったが…゚
by Kinotomii | 2016-03-10 11:35 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

森 信三 という人

森信三。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E4%BF%A1%E4%B8%89


Wikipediaによると、「しんぞう」と書かれているが、講演録『真理は現実の中にあり』では、「のぶぞう」とルビがふられている。

どちらが生来の名前なのだろうか。

 この、哲学者であり、実践の人であり、教育者である森信三のことを、若いころ知らなかったことが悔やしい。
教育の人であったから、学校を回り、生徒や先生方を前に三桁に上る講演をされたらしいが、売名行為などは好まれなかったせいか、マスコミに取り上げられることなく、自然、学校関係者以外にはあまり知られることはなかったのだろうか。

著作も多くが自費出版である。

学校の先生方はご存じだったのではないか、と思うと、悔しい。


 西田幾多郎の最後の弟子と呼ばれ、坂村真民に大きな影響を与えた人物。
その一生は艱難辛苦の連続であり、現実の中から真実を見つけ出す手法。
人一倍の読書家であるが、観念の人ではない。
真理と本との関係を、禅の言葉で「指月」と言い表すのだそうだ。
「月」が真理とするなら、それを見つけるためには、本からの知識が必要になる。

「あれが月」
と指さす「指」が、真理と確定するための後ろ盾、知識ということになろうか。

『真理は現実の中にあり』は、普通サイズの本なのに、読み終えるのに何日もかかった。内容が濃いのである。
その中にあった、「しつけの三原則」とするシンプルで当たり前の毎日の習慣のことに、深く打たれた。

一人で子育てをしていた若い母親であった頃、このことを知っていたら、どんなにか救われたことだっただろうか。

森信三は、「覚者」と呼ばれるのだそうだ。
覚者とは、人生の真理を悟り、自らの人格を完成させ、世に大きな感化を及ぼす人のこと。

以下は、本の解説から。

<人には迷いがあります。

森信三の若い時代も迷いの連続でした。

しかし、真摯な取組みで人生の真理の解明にあたり、独自の人間哲学、教育哲学の道を切り拓いてきました。

膨大な著作、中でも「修身教授録」は大ベストセラーとして信三の名を高め、

半世紀以上経た今でも広く読み継がれていますが 、信三は著作以上に実践のひとでした。
学校での講義の合間に全国津々浦々に脚を延ばして人間教育の土台づくりを図りました。
精力的な教育行脚は晩年を迎えて更に拍車がかかりました>


森信三の自らを評した言葉。

<学者にあらず、宗教家にあらず、はたまた教育者にあらず、ただ宿縁に導かれて国民教育者の友として、この世の生を終えむ>


by Kinotomii | 2016-03-08 15:56 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

アルブレヒト・マイヤー のオーボエ


5月28日、夜8時から、レジデンツのカイザーザールで行われた、アルブレヒト・マイヤーのオーボエ。
ヴュルツブルク フィルハーモニー オーケストラ との共演。

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この人は、ミュンヘンフィルハーモニーオーケストラだったか、の有名なオーボエ奏者らしい。夜8時始まりは日本では遅いと感じるが、ヨーロッパではふつうなのだそうだ。
この日こそ、カイザーザールの特等席を予約して、これが見事に当たり、私たちは、前列から2番目のオーケストラの真ん前に座ることになった。
舞台が近いので、団員の方々が三々五々楽器を携えて入ってこられるのを、目の前で見守る格好。
この日はもう一組日本人の旅行者のご夫婦があって、たまたまこのフェストを知って申し込んだら当たった、と大変興奮しておられた。
この方々も前の方の席に座っておられた。

市のオーケストラなので、聴衆の方々に知り合いもあるのだろう、団員とお客さんが親しい笑顔で一体となっておられる。
ちょっと気になったのだが、私たちの前の席、最前列に、17、18歳の外国人の少年が係りの方に誘われて入ってきた。風貌からすると中央アジア系で、ネパールとか、ブータンとか、そういった風貌である。招待客に違いないが、ドイツ語がわかるらしく、進んでおしゃべりはしないが、にきび顔で堂々としている。
何か特別の才能を持った人に違いない、と夫にそっと耳打ちすることだった。

オーボエは、単音としてはあまり聴いたことがない。
初めて聴いたが、マイヤーが魂を込めて吹いているのが真近くで見られた。
聴衆は当然、着飾っている。結婚式のようないでたち。装飾品も惜しげなく身につけて。日本だと、若い方々なら普段着でくつろいでコンサート会場に入る方も多い。
シニアの人々は、それなりによそ行きを身に着けて、特別の場所と感じさせるが。
時にはこんなハレの場を演出するのも良いものだ。

終わると10時過ぎになった。
私たちは、市街から少し外れたヨハネスケプラーストリートにある、ロルフ・クリストフのアパートまで、バスで帰った。
このアパートがまた素晴らしかった。将来、動くのが危うくなったら、自宅もこのように、大きなワンルームに改造し、ベッドも台所も居間もトイレもすぐ近くにし、快適に過ごしたいものだ、と今も思っている。













by Kinotomii | 2016-03-06 15:27 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

アレキサンダー・クリッケルのピアノ

5月25日、11時から、レジデンツのフェステンザール(私はドイツ語がうまく読めないので、すべて英語読みです。)で、若き、ハンサムなピアニスト、アレクサンダー・クリッケルのピアノがあった。
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これは、日本にいるときから、エルファースハウゼンにあるバイザーライターのオーナーご夫妻と合わせて取っていたもので、席も一番安い、15ユーロ。
小さな部屋だし、後ろの方の席だが、これで良かった。
なぜなら、この日オーナー御夫妻に用事ができて行けなくなったから、とチケットを譲っていただいたのである。
これで、夫の昔のボス、K・S夫妻を誘い、一緒に行ったのだが、御主人の方は足が悪い。少しでも後ろの席の方が良いわけだった。
それでも、音も力強く遜色ないものだった。
若いということは、何しろ本当に結構なことだ。
ピアノの音が弾けますからね。
曲目は、モーツアルトのソナタ6番、ショパン、ラフマニノフといううってつけのもの。
これが、クリッケルが弾いたピアノです。
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この若いピアニストは、元々はピアノが専門ではないそうである。
他の楽器からピアノに転向したのだそうである。
私たちがしきりに感動していたら、後ろに座っていた若いドイツ人が夫の背中をチョンチョンとつついて、
「彼はピアノが専攻ではなかったのに、ここまで弾けるのだ」
と、さも誇らしく教えてくださった。
この地域の方々は田舎人の気質を残していらっしゃって、未知の人間にも大変親しく向き合ってくださる。
これは日本でもそうだが、都会に行くほど、
「他人のことは知らぬ」
という顔をしている。周囲が知らない人々ばかりだと、相手の反応がわからないし、一々興味を持ってはいられないせいだろう。

さて、クリッケルのその日の音は、まるで獲物に向かっていく猛獣のようなスタイルであり、自尊心の塊のように見えた。
過日日本で聴いた、バイオリニストの佐藤久成(ひさや)の元気さと雰囲気と似通うものがあった。

西洋音楽を聴くといつも思うことだが、外国人音楽家の演奏は、熱心であり、集中力があり、手抜きがない。
さすが、と思うことが多い。
これが、民族の中に流れている伝統とか言うものなのだろうか。



by Kinotomii | 2016-03-05 22:27 | 音楽 | Trackback | Comments(0)