人気ブログランキング |

やりたいこと、行きたいところ、話したい人、書きたいことが多すぎて。
by Kinotomii
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る
カテゴリ
全体
宗教
音楽
環境

旅日記
雑記
親子関係
食べ物
未分類
以前の記事
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 07月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
お気に入りブログ
アトリエkotori*の...
年金だけでも楽しく暮らし...
還暦からのネイチャーフォト
野鳥の素顔 <野鳥と日々...
アリスのトリップ
Lady Satin's...
写鳥楽
今日の易の言葉
最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
初発心の菩薩
at 2019-08-15 17:24
アーティカス
at 2019-08-07 17:01
表現の自由とは? 二宮金次郎..
at 2019-08-07 15:57
『袈裟のはなし』久馬慧忠(き..
at 2019-08-01 23:14
京都市交響楽団第636回定期..
at 2019-07-30 18:33
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
シニアライフ
音楽
画像一覧

<   2016年 07月 ( 10 )   > この月の画像一覧

京響第603回定期 ユージン・ツイガーン 

コンサートは気軽に非日常を経験できるありがたい楽しみだ。
しんどい時には「コンサートにでも行きたい」「良い映画を観たい」という気分になる。
神経が参っているときなどにクラシックを聴けば、頭の中がすーっと軽くなるような気持がする。
クラシックは、脳に良い刺激を送るようだ。

今日の指揮者は日本人の母とアメリカ人の父を持つアメリカ人、
ユージン.ツイガーン
36歳くらい。
一見、インド人かなと思わせる端麗なマスクを持っていらっしゃる。
初めて聞くお名前だけれど、ファンも多いし期待も大きいのだろう、

満席!

若いということもあってか、マーラーが個人的にもお好きなようだ。
シューベルトでは眠ってしまった私も、マーラーの迫力には体中に力が入った。
何しろ指揮者の熱の入れようは、1階席の後ろに座っていてもビンビン伝わってきた。
P席を取ればよかったな、と思った。
あそこからは指揮者の表情が一目瞭然。
弦の音もきれいに聞える。昨夜は弦の人数も多かった。
ただ、P席は格安でもあるけれど座席が硬いのがつい避けたくなる理由。
R席やL席も好きだ。

マーラーは素人でもわかりやすい。ドラマチックな旋律が、時に哀愁を帯びて日本人好みの心地良い音楽と感じる。あれは、スラヴの音楽が入っているから、とツイガーンの説明があった。

どこかで聴いて記憶に残っているトランペットの独奏が、昨夜はライブで目の前で展開され、恐れ多い感じになってしまった。
ホルンも、独奏すればあんなに多彩で大きな音を出せるとは、昨夜認識を新たに…。

ユージン・ツイガーンの指揮は、パンフレットにもある通り、
「切れのある振りと流麗優美さを併せ持ち」
加えて、「落ち着き自信にあふれた統率者」
まだ三十代と若いが、堂々とした指揮ぶりと聴衆への挨拶の態度は、かつての
朝比奈隆https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%AF%94%E5%A5%88%E9%9A%86を思わせた。
お辞儀のしかたや、聴衆にまんべんなく視線を送る自信にあふれた態度が、
36歳とは思えないほど堂に入っているので、私たち夫婦は、
「これからどんどん世界に出て行かれるかもしれない。今日彼の指揮を聴けたことはラッキーだった」
と言い合った。
若いということは、舞台と楽屋の往来には速足であり、小走りでさえあった。
体が軽いし余裕がある。
ベテランにはベテランの良さがあるものだが、若いということは、何しろ本当に良いことだ。
いつの日か、そう遠くない日に再び彼の指揮を聴きたいものだ。



by Kinotomii | 2016-07-31 11:16 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

華は哀惜に散り、草は棄嫌に生うるのみなり

古い仏友から『興聖寺』淡交社発行を貰ったのは、つい2日前である。
1998年刊だから、もう20年前の本が、今自分の手元に届いたことに不可思議を覚える。人も物も縁あって出会い別れるものなれば。

本の中で、当時のご住職植本攝道老師(大峰攝道老師?)が書いていらっしゃることがありがたい。
ちなみに、興聖寺は宇治市にある曹洞宗の寺院で、複雑な歴史を持つが、道元禅師が初めて現在の深草のあたりに建立されたお寺を、江戸時代に現在地に復興したのが、今の興聖寺ということです。

植本攝道老師の書かれた「春は花、夏ほととぎす」を部分的に転載を許していただければ、

≪「華は哀惜に散り」とは、
草木の花はどんなにきれいに咲いてもみな散っていく。ああ、もう散ってしまうのかと、人々は哀惜の心を起こすが、花は無心にして花の命として一生を終わっていく諸行無常の姿で、人に惜しまれようとして散るのではなく、人が花を見てどう感じ、どう受け取ろうとも花は仏の命の花なのだ。

「草は棄嫌に生うる」とは、
草は草として因縁を受けて生えてきたのに、生える場所や季節によって、草自身は何の故意もないのに、「あーあ、また草が生えて来やがったか」と忌み嫌われます。草にはもともとなんの罪もないのに、かわいそうに嫌われることになるのです。
受け取る側の私たちの心のありようが試されているようです。

(略)

受け取る側の心の修行のあり方が人間としての深みによって答えが違ってくることを痛感するのです。≫

興聖寺には何度かお参りしたことがあるが、琴坂の風情がすばらしく、秋には紅葉が豪華そのものの、大変落ち着けるお寺である。不要なものがごてごてと置いてない。
さすがに禅寺のすっきりとして豪快なお寺、といった印象。
世間とは確実に違う空気が流れている。周辺も散策に最適。
宇治川向かいには、平等院が位置する。

19日にアップしたように、まさに同じ公案を抱えていた自分に、ちゃんと寄り添うように必要なものがやってきた、と思っている。





by Kinotomii | 2016-07-26 06:30 | 宗教 | Trackback | Comments(0)

日本人に生まれて良かった

今朝の朝ご飯は、炊き立ての白いご飯に自家製の梅干し。
c0356158_09510635.jpg


はちみつなど混ぜてないから、ほんまもんの酸っぱさ。
これと、焼きのりと、きゅうりのぬか漬けと、
市販の大根漬けと、希少糖で炊いた自家製の豆。
今朝はこれで十分だった。



by Kinotomii | 2016-07-25 10:44 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

どの子にも涼しく風の吹く日かな 竜太


今朝も咲いた白むくげ。
人々は一日花と呼ぶが、むくげはきっちり2日後にしぼみます。
俳句の先生もこのようにおっしゃっていた。

c0356158_09480793.jpg


今朝も咲いたかぼちゃの花。

c0356158_09495532.jpg

40年来咲き継いでいるゼラニューム。
引っ越ししても、共に運んできたこの花は、挿し木で簡単につき、強い。

c0356158_09501981.jpg


今朝もセミ穴が増えていた。
硬い地面にきれいな穴を残す。
c0356158_09493316.jpg

こんなところまで登って脱皮する。
これは日よけのシェード。現在、5個。
去年は怖くて触れなかった4歳の孫が、今年はセミの抜け殻を集めて、
お料理みたいに盛り上げていた。

c0356158_09504718.jpg

今年はアブラゼミが多い。
たまにニイニイゼミを見る。
孫は、捕まえた生きたアブラゼミに興味深々ながら、
バタバタと翅を激しく動かすセミに恐れをなして、触ることはできなかった。
近隣公園に、蝶やトンボやバッタが生息していた。
c0356158_09484937.jpg

数年前はこの木全体をクマゼミに占領され、
まるで大工場の大音響みたいに木全体を震わせていた。
セミの種類も、年により異なるのかと思う。

どの子にも涼しく風の吹く日かな  飯田竜太






by Kinotomii | 2016-07-25 10:25 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

喜光寺の蓮とお写経

40年来の友と会うことになり、若いころお世話になったお寺を訪ねた。
その帰り、
「どこか行きたいところがある?」
と問うと、
「喜光寺に行きたい」
と言う。
喜光寺は、奈良市菅原町にある法相宗別格本山である。
行基によって創建された寺、ということで知られる。
最近南大門が落慶をみたことで大きく報道された。

驚いた。意外にも、境内に沢山の蓮の鉢。
そして蓮が見ごろだった。
c0356158_18202977.jpg
c0356158_18200227.jpg
多くの写真家が蓮の周りにたむろして。

しかしこれにもましてびっくりしたのは、境内が大きく整備されて、薬師寺と同じようにお写経所が設けてあることだった。
書をよくする友と、さっそく1巻2000円の「いろは写経」を申し込んだ。
これは般若心経の写経ではなく、いろは歌のお写経なので、短時間で済む。
気持ちの良い写経所で、気軽にできた。
最後にお菓子とお抹茶がついたのには、これもびっくりだった。

本堂は室町時代の建立。
大変恰幅の良い、堂々とした堂内にご本尊の阿弥陀如来様が座しておられる。
行基さんは、ここ喜光寺で入寂された。
規模は小さいが、大変重要なお寺だったのですね。







by Kinotomii | 2016-07-23 19:15 | 宗教 | Trackback | Comments(0)

日の丸とダンプリング



ドイツの20年前の友人の家に着いた時、あっと声を上げた。
 
c0356158_20531929.jpg

庭の入口に日の丸!
この家の住人は、イタズラ好きである。
日本からの20年ぶりの訪問者に対して、歓迎の気持ちをこんな風に意表をつく形でやってみせた。
c0356158_20522002.jpg


ベランダから。
手前のテーブルで、よく食事した。
ドイツ人は外で食事することが好きである。
20年前は、ここで家族ぐるみで、巻き寿司やてんぷらや茶わん蒸など作って10名くらいのお仲間に振舞ったものだった。

シェラー家は、ヴュルツブルクの近く、オクセンフルトというところにある。
ご本人は、「オックスフォード」と言い張っておられた。
「日の丸はどこで手に入れたのか」
と尋ねると、ネットだそうである。
外国から友人が訪れるたび、その国の国旗を掲げるのだそうである。
夫人のウラが私にそっと耳打ちした。
「近所の人々からは、きっと、自慢したがりと思われているに違いない」

私が、「ドクター・シェラー」と呼ぶと、怒って、
「クラウスと呼べ」
と指示。我々は友達ではないか、と。
1週間ここに泊めていただいた。
離れる日の前の晩だけはホテルが良かろうと、駅前のホテルに日本から予約を入れていたが、これを怒って、自分のパソコンでキャンセルしてしまった。
水臭い、と怒ったのである。
ドイツ人にもこんな感情があるものか……。
まあ、でも、ドイツ人と日本人は何かとよく似ている。
外見は全く違うのだけれど、つたない英語でもツー・カーで通じる。
表情だけでもわかってくれる。
お互いに英語は外国語だし、ドイツ英語は聞き取りやすい。
時々ドイツ語が混ざって混乱するけど。
ドイツは良かったなあ…。

別れの朝、妻のウラは、手作りのパンとジャム数種類でテーブルを飾り、クラウスが入れてくれたおいしいコーヒーを頂いて車に乗った。
c0356158_17405796.jpg

その日、2015年6月4日は、ドイツ南部の小さな村で7か国首脳会議(サミット)が行われたため、朝早くから道路が混んでおり、列車は通常と異なるタイムテーブルで動いた。
警官の姿も多かった。
私たちは、合流したバルツ氏を加えた4人で、長く構内で話した。
バルツ氏は、サイクリングの格好で、これからオーストリア近辺まで行く、と元気一杯‼

美しいヴュルツブルク!!
親切なドイツの人々。

そして懐かしいオクセンフルト。オクセンフルトの画像。
c0356158_17420439.jpg


教会の12時の鐘を待っているところ。
c0356158_17433119.jpg




ブドウ畑。昨年は雨が少なくて、ワイン用のブドウが実るのか心配されていた。今年はどうだろうか。
c0356158_17425169.jpg


手作りのお菓子。これが一帯で流行っていた。
これで食事の後のデザートですよ!
白いお団子は、手作りのお団子です。
ジャガイモとチーズの粉をブレンドした団子粉が、スーパーで売っている。買って帰って日本でも作ってみた。
ドイツ語のできる友人にわざわざ台所までお運びいただき、
「本当にこれでいいの? いいの?」
と確かめながら。
確か、水を一滴も使わず、その代わりカッテージチーズでしっとり、柔らかくして、湯でゆで上げる。

赤く見えるのはさくらんぼだったような…。

c0356158_17384874.jpg


c0356158_17372636.jpg

ある日の夕べ、夫人のウラと美容院やヘアカラーの話をした。
5時からワインとコーヒーを飲みながら、次第に女性の働き方の話題になった。
ドイツは女性が働くのは当然で、又、彼女らはすごく働く。
重いものを持つのも男性に頼る風は見られない。

いつの間にか夜も8時になり、薄暗くなった部屋を出て2階の広い居間に行くと、男性二人はサッカー観戦の最中だった。
この時だったかどうかうろ覚えだが、アナウンサーが、
「シンジー!」
「シンジー!」
と何回も絶叫するので気分がよかったーー。

料理では、日本の国民食であるカレーライスは最も喜ばれた。
上等のカレールーを持参していた。
以前作ったちらし寿司は食べにくくて、本当のところ歓迎しない、とのことだった。
カレーならスプーンで食べられる。
ただし、ごはんはビミョウだった。
日本にも来てほしい、と言うと、どの人も一様に、
「日本は遠いから」
と仰るのには??だった。



by Kinotomii | 2016-07-18 18:39 | 旅日記 | Trackback | Comments(0)

歯の治療中に眠ってしまった話

この間、歯医者さんで治療中、居眠りしてしまった人の話を聞いた。
歯医者さんは、応対がソフトだ。
元々誰でも行きたくない怖いところだから、歯科衛生士さんも、歯医者さんも、治療に際しては一々優しい声で説明してくれる。
「前掛けをかけますね」
「~~していきますね」
「ちょっと音がしますよ~」
「痛いときは手を挙げて知らせてくださいね」
等等、懇切丁寧。
それも優しい、優しい言い方で説明してくれる。
普通の医院でも注射のときなど、
「ちょっとチクとしますよ」
とまで患者の気持ちになって説明される。
何と、最近の病院は患者に優しくなったことだろうか。

その人は、治療の椅子に座った途端、眠気が襲い、無意識だったが、口を開けて治療中、ウトっと眠っていたらしい。
歯科衛生士さんによる定期的な歯のお掃除の時だったそうだ。
よっぽど気持ちが良かったとみえる。

歯科衛生士さんはマスクをしている。
目しか見えないものの、
「美人だ」
と日ごろから思っていたらしい。
声も優しいし、若いし、その上、テキパキと治療する。
すっかり自分を任せ切ってしまった。
はっと目が覚めて、眠っていたことがわかり、
「スミマセン」
と謝ると、
「おぼれなければいいですよ」
と言われたそうだ。
歯医者で治療中に眠ってしまうとは、初めて聞いてあきれた。
「歯の治療中に眠らないでください」
と張り紙…、誰も思いつきもしないことだろうし。





by Kinotomii | 2016-07-15 23:09 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

ドイツの台所


c0356158_15481538.jpg


上の写真は、ドイツのヴュルツブルクにある、
マリーエンベルク城です。
手前にマイン河を配したこのアングルからの写真は有名。

このヴュルツブルクを中心とした小さな村々を回る20日間の個人旅行に行っていた。

5月29日からの1週間は、夫の20年前のボスの自宅に滞在させていただいていた。
家は、ヴュルツブルクから車で20分の
オクセンフルト オブ マインにある。
かつてのボスご夫婦は、今や80歳と79歳。
当時は、今の私たち夫婦くらいの年齢だったかもしれない。
夫人のウラは、気さくで大変頭の柔らかい人。
少し障害のある子供たちの、運動療法士の仕事をしていた。

台所では、私にも対等に料理を任せてくださった。
カレーライスは好評だった。
日本に売られている数々のカレールーをドイツに持っていけば必ず売れるだろうな、と思う。
これが台所。
c0356158_06402372.jpg


真ん中のレンジは、IHではなく、RHというものです。
「ラジエントヒーター」と訳し、要するに、ラジエントのぐるぐる巻きを熱し、ガラストップに埋め込んである。その直火で調理する。ヨーロッパはほとんどこれだそうだ。
3件滞在したお家のすべてがこれであったし、20年前も、日本でいうところの「電熱」だったので、今はこれをガラストップにしているということだけ。
日本の台所の火力はほとんどがIHだと言うと、怪訝そうな顔をして
「何、それ?」
と言う顔をされる。
そしてしばらくしてから、「あ~~あ」と思い出したらしく、
「あんなものは地下室の奥深くに眠っている」
とさも憎そうにおっしゃった。

実は、我が家も昨年リフォームしたときにRHを入れた。日本では知らない人が多いが、IHの危険性と、RHは料理がおいしいと友人から聞いていたから。
さて、
台所に立っていて、つくづく感じたことは、ドイツの台所から出るプラスチックの量の少ないこと。
帰国して自分の台所に立っていると、日本の台所から出るプラスチックの量の多さに、ドイツの人々に申し訳ない気持ちになる。
二人家族の我が家で、「プラスチックの日」に出す量は、18リットルポリ袋に一つだが、ドイツの人々が出す量は、4人で我が家の半分もなかった。
というのも、ドイツの製品の包装には、初めからプラスチックが使ってない。
粉、砂糖、塩などの粉ものまで、直接紙の箱に入っている。
c0356158_06514874.jpg


これは、ドイツ名物「ダンプリング」用の粉。
箱に直接入っている。
日本でも、日清製粉の小麦粉は、お馴染みの黄色いひまわりか何かの花模様の紙袋に入っていたものだが、最近プラスチック製に変わってきた。

ドイツでは、スーパーの野菜は、成形した紙パックに入れてある。20年前もそうだった。
何回も使えるように、使い終わったらスーパーに返しに行く。

紙は彼らの中で貴重品である。
日本からのお土産にしたオカキを包んであった小さな紙の袋を、それとなく胸ポケットに入れたのには奇異な感じさえした。
日本人は捨てるためにポケットに入れるが、彼らは収集するためにポケットにいれるのである。

一つの例だが、20年前お土産に持って行った和菓子の箱を夫人は薬入れに使っていて、それを物入れから取り出して見せてくれた時には衝撃だった。
「きれいな箱だから」
捨てられない、という意味だ。
それほど、彼らにとって「紙」は大切なものなのだろう。
和菓子の箱はしっかりとした作りで、美しいといえば美しい。
我々日本人は、もう少しこの辺りを考え直しても良いのではなかろうか。




by Kinotomii | 2016-07-14 17:42 | 旅日記 | Trackback | Comments(0)

日本の聖なる山 高野山

高野山奥の院の墓地群
c0356158_18260579.jpg
数百年経った杉の群落の下に、りっぱな墓地が所狭しと……。
大企業の墓地もあれば、豊臣秀吉も小田信長も、明智光秀も。数百年前の苔むした墓地群。
日本には、数百年前からこのように林の中に墓地を作るやり方が自然と生まれていたのか。

これは、島津義弘が慶長4年、高麗戦争の犠牲者の霊を敵味方区別なく供養した石碑。
c0356158_18252776.jpg
日本武士道の博愛精神の発露を示すものとして知られるそうだ。

50年前、20年前に訪れたことがあるが、そのころは歴史上の人物の墓碑が多くて驚いたが、現在は、そのころよりはるかに墓地が増えていた。

これは高野山に参る途上に位置する、世界文化遺産、 丹生都比売(にうつひめ)神社。
美しく、人の影がほとんどなく、おごそかなたたずまい。
c0356158_18273959.jpg
神社の案内には「にうつひめじんじゃ」とあるが、
私は「におつひめ」と覚えている。
梨木香歩の「丹生都比売」が頭に残り。
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%B9%E7%94%9F%E9%83%BD%E6%AF%94%E5%A3%B2-%E6%A2%A8%E6%9C%A8%E9%A6%99%E6%AD%A9%E4%BD%9C%E5%93%81%E9%9B%86-%E6%A2%A8%E6%9C%A8-%E9%A6%99%E6%AD%A9/dp/4104299103
梨木香歩は、女性作家の中で5本の指に入る好きな作家のひとり。

高野山のお礼参りは、蒸し暑い曇り日和に、夫婦で淡々と行った。
ここには本物の三鈷の松があるが、青々と茂った大きな松の木であるにも拘わらず、落ち葉はほとんど見当たらず、三鈷の松葉は拾うことができなかった。多くの老若男女が、目を皿のようにして探しておられたが、気持ちがよくわかる。






by Kinotomii | 2016-07-13 15:14 | 宗教 | Trackback | Comments(0)

ウイリアーナ ロパートキナ

ロパートキナは、ロシア ウクライナ生まれのバレリーナ。
http://lopatkina-movie.jp/

この映画は、のっけからロパートキナがインタビューに答える形で始まる。
まるで田舎の純粋な娘のような素朴なまなざしで、
「自分がバレリーナになれるとは思わなかった」
バレーを始めたのは、
「母親に連れられてバレーの学校へ通いだしたのが始まり」
どうして20年もプリンシパルでいられるのですか?
「じぶんが名声を得ても、それは忘れることね」
「もっと高いところを目指さなくてはいけないの」

芸術家の世界は自己顕示欲の塊のような世界か、と思っていたが、ロパートキナは全然違った。
むしろ、自分の仕事のデキだけに関心があるようだ。
まるで、孤独に厳しくハガネを打つ、刀鍛冶のよう。

瀕死の白鳥は、体重を感じさせない。
今にもくずおれてゆきそうで、映画館の座席を飛び越え、観客を押しのけて早く助け起こしに行かねば…。
と胸が締め付けられるほどに憐れだ。
あの表現には、恐らく、体中の力を筋肉と神経に集中させて、体重の2倍くらいの力を使っているのかもしれない。

彼女は29歳で娘を産んだ。
抱っこしていても、娘と共にいても、どことなく照れているようで。
母親の顔には、なりたくてもまだなれないように見える。
深い信仰心を持つ。

本物は、本物らしくない顔をしている。
本物は、自然体である。







by Kinotomii | 2016-07-01 22:36 | 音楽 | Trackback | Comments(0)