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<   2016年 11月 ( 11 )   > この月の画像一覧

息子介護

私たちの世代は、若いころ都会に出てきた世代である。
田舎には適当な仕事がなかった。
そして、60歳を越えたころ、親たちは80歳を越え、故郷で一人何とか頑張っている例が多い。

60歳を越えても年金は65歳からでなければ出ないため、働かなければならない。
60歳で年金生活に入れるなら、帰省して母と一緒に暮らせるものを……。
Aさんのお母様は84歳にして一人暮らしだった。
バスでなければスーパーのあるところまで出られないところに住んでおり、それでも一人で何とか気丈に暮らしておられた。
Aさんは、関西から毎月1回帰省して、お母様のお世話をしてきた。
飛行機で毎月帰省するのも大変なことだったと思う。

実は私も、2005年から両親の介護のために帰省を繰り返している身である。
夫の働きがあるため、私には1週間くらいの帰省が可能なのである。
確かに、一家の主ではない女性には自由がある。
しかし、これも働いていないからできることである。
昨今、女性も働くことを求められ(政治が女性の労働力を欲しがっている)、65歳まで働くことになると、条件は男性と同じである。
娘だからとて、親の役に立つとは限らない。
娘も、親の生活より自分の生活の方が大切なのである。

Aさんのお母様は、昨年亡くなられた。
十分なことをしたとは思い難いだろうが、Aさんはできるだけのことをしたという思いで、すがすがしさはあるのではなかろうか。

昨今、妻が夫の親の介護をしない例が多い。
妻には夫の親への義務もなければ財産権もないので、無理もないと言えば無理もない。

Aさんのように、夫がこうやって帰って親の介護にあたることを許容してくれればまだ良いが、帰してくれない妻の例もある。
つくづく、妻の器一つが夫を孝行息子にも親不孝息子にもする、と思わざるを得ない。
こういうことを考慮すると、「男は役に立たん」と言い放つ世間の常識に、違和感を覚えるのである。





by Kinotomii | 2016-11-30 09:20 | 親子関係 | Trackback | Comments(0)

切なくて、おかしくて、愛しい 「ペコロスの母に会いに行く」 

「ペコロスの母に会いに行く」という映画は一人で見に行った。
経験者の実録を映画化してあるので、実態をよく表現してあった。
多少の介護経験者である私にも、うなづけるところが多かった。

父と並行して義母の介護に通った時期があった。
汚れた自分のパンツを隠してしまうところ。
高いところに隠してある食べ物を、いつの間にか食べてしまって知らん顔をしていたり、
(目に付くものは何でも口に入れるので困った挙句、取れない高いところに置くことにしていた)
電気代の節約のつもりか火事への心配なのか、目に付くたびにコンセントを抜いたり、スイッチを切って回ったり。
夜中も何度も起き上って、電気を付けたり消したりするので、そこに寝ている人は被害にあった。
そのたびに、初めて経験したことのように静かに注意することを繰り返した。
本人もこの行為について、深く意識していなかった。

風呂から上がった直後体を拭いてあげていると、そばの洗濯機のコンセントを素早く抜いたこともあった。
そのことが至上命令であるかのように真剣な顔つきであった。
「しっかりしなければ」、という不安でもあったのだろうか。

みんな同じようなことをするんだなぁ。
切なくて、おかしくて、愛しい。
深刻にとらえれば、どこまでも不安がつのるような男手による母親の介護。それを自然体で、必要以上に深刻ぶらず、飾らず、そのまま見せたところが良かった。
娘による実家の母の介護がほとんどの今日。
息子と孫が母親と共に暮らし、男手の介護というところに注目した。
竹中直人の”かつら事情”が笑いの華を添えてくれ助かった。

面白くて、やがて切なく、最後にはひっそりと希望も持たせてくれる映画だった。
世の息子たちも、父親、母親に対して、本当はこんなに温かく豊かな感情を持っているのだと、再認識させてくれた。
世の息子たちに言いたい。還暦を過ぎたら本来の自分に還ろう。
親の子に還ろう。


「ボケたとも、悪かことばかりじゃなかかもしれん」
という主人公のセリフは、ボケた本人にとってもそうかもしれないが、傍で介護する家族にとっても目には見えないが頂くものが多い、という意味で納得できるところである。
あまり介護にご縁のなかった人々にとっては、
「わからなくなった方が本人は幸せだ」
と解するのではなかろうか。
しかし、親を看ている子にとって、これまで考えたこともなく思いつきもしなかった想定外の日常が展開することで、親の意外な面を知ったり、
こうならなければ決して思い出すこともなかったに違いない、過去に両親を悲しませたことや、家の歴史を考えざるをえなかったり……。
いろいろなことを思い出させ、味わわせてくれる親の介護には、子の気持ちを変えさせる力がある。

親への敬意や愛情からする介護には、日々を「至福」と感じる瞬間がある。
自分が親に「してあげている」という強者の感覚から、親が自分に「させてくれている」という感覚の転換があるのが、親の介護です。
どこまでも、認知症になっても、親は子よりは一枚上手なのです。





by Kinotomii | 2016-11-30 09:07 | 親子関係 | Trackback | Comments(0)

マイ坐蒲を買いました。

幼い子供が気に入りのおもちゃを見せびらかすようで気恥ずかしいが、
座禅用の坐蒲をネットで購入したのは先週のこと。
http://item.rakuten.co.jp/muromachi/673063?scid=af_pc_etc&sc2id=248980955


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生地は別珍(べっちん)というもので、ビロードのような風合いである。
若いころは生地とパンヤを買ってきて自分で作ったものだ。
別珍は坐ったとき滑りにくいから坐りやすい。
まだ新しいので丈も高くて足も腰も楽。

マイ坐蒲を持参した昨夜の坐禅はとても心地よかった。
和尚さんの指導にも気合が入っているので、昔のような緊張と充実感を味わった。(合掌)

奈良市内にあるこの曹洞宗のお寺は、毎週土曜日に参禅会を行っている。
月2回とか1回の日曜坐禅会が多い中で、ここは数十年間(もしかすると100年以上)、二代前の方丈様の代からきちんと真面目に週1回、又は週2回の正しい坐禅を指導してくださっている。(合掌)

40数年ぶりに古巣に舞い戻った鳥よろしく、先週から再びお世話になっていると、参禅者の方々の顔ぶれは時代と共に異なっても、50年以上、もしかすると100年以上、途切れることなく参禅会が続いてきたことがわかる。
本当に貴重でありがたい。(合掌)

大阪の西の方からやら、奈良の南の方からやら、皆さん大分遠いところからわざわざこのお寺の坐禅を求めて参加していらっしゃる。
皆さんの道心の深さに合掌。

恥ずかしながら、自分が坐禅を始めた最初の動機は、前かがみの悪い姿勢を直したい、などという不謹慎な理由だったことを思い出す。
こんなことを言って良いのかどうかわからないが(いけないと思う)、昨夜も肩こりが治って気分の晴れやかだったこと。(合掌)

どんなに疲れていても、坐禅のあとは体中に力がみなぎってくるような充実感がある。絶対に! 良い遺伝子がスイッチオンになっているに違いないと思う。
でも、こんな功利目的で座禅をしてはいけない。
坐禅は、自分が本来の自分にかえるために行じるものだそうです。(合掌)







by Kinotomii | 2016-11-27 18:26 | 宗教 | Trackback | Comments(0)

白髪の効用

半年くらい前から髪染めをやめてしまった。元々めんどくさがりだ。
現在半分くらいナチュラル色になっている。
周囲の友人たちは、いい感じだと言って下さる。

こうなって良かったことが一つある。
人々が高齢に見てくれ、敬意ある態度で接して下さるのだ。
電車内で席を譲られることも増えた。
「いえいえ、大丈夫」と謙虚にならない方が良いのだそうだ、こんな時は」
「ありがとう」と感謝して座らせていただく。

先日、友人と観劇に行っての帰り、電車の席が一つ空いた。
「あなたがどうぞ」
「いいえ、あなたこそ。私の方が若いのですから」
1歳だけ。彼女は67歳。
もめていたら、隣に座っていた学生らしき女性が、
「どうぞ」
と立ってくださった。重そうなカバンを持っているのに。
「大丈夫、大丈夫」
と言いいつつ、「ごめんね。ホント、オバサンていやね」
と我とわが身を嘆きつつ、2秒もせずに座らせていただいた。
この頃は、私たちくらいの50台、60台のおばさんが最も元気なのよ。
若い学生さんは疲れているよね…。
荷物も多いし、長い時間学校で勉強して、友達にきをつかって…。
これからは、こっちから学生さんたちに席を譲ることにしようね、と彼女と話した。

さて、次に乗り換えた電車もそこそこ混んでいた。
座るつもりはなかったが、優先座席にかけていた若い男性が、
「どうぞ」
と、さっと立って下さった。
優先座席だもの、ここは感謝して善意を受けるべし。
また二人で並んで座った。

思うんですけど、この頃若い方々が躊躇なく席を譲る行為がよく見られる。
昔は照れ臭くて、声をかける勇気が出なかったこともあったでしょう。
この頃、割と定着してきたのかな、と思う。
外国人に譲られることは、日本人より多いように思う。
彼らは自国でこだわりなく行ってきたことを、日本でも行なっているだけなのかもしれない。
その空気が日本人にも違和感なく伝染して、元々横柄だったからできなかったのではなくて、照れ臭かっただけだった日本人が、自然に弱者に席を譲る行為が自然にできるようになった、こんなところかな。
案外、席を譲るだけで充実感が生まれるから、どっちにとっても良いことです。
でも、弱者って、年寄りだけじゃないですよね。



by Kinotomii | 2016-11-25 22:24 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

金の歯のプレゼント

近所に良い歯医者さんが見つかり、定期的に口腔内のお掃除に通っているので、66歳の今でも何とか、入れ歯も差し歯もブリッジのようなことも必要がなく、すべて自分の歯を保っている。
でも、もうすぐ…(恐)わからないけど、口の中を触られるのは誰しも嫌なもの。

20歳前のころ、
社会人を1年だけやって、勤労学生となることを決心した最後の月の3月。
職場の同じビルの6階(?)にあった歯医者さんに治療に行った。
これからは忙しくなるし、田舎の方に移るので、歯医者さんがあるかどうかわからない。
ないようなことはないと思うけど、忙しくなるから、
今のうちに保険で悪いところを直してもらおう、と。

治療中に歯医者さんと話になり、この月で会社を辞め4月から勤労学生となるつもりなので、すべて悪いところを治してください、と言った。

何日かの治療が終わって受付に支払いに行くと、受付の人がお医者さんと話を始めた。
かぶせ物が保険診療のきかない「金」だったのだ。
その割には、カルテにある治療費が普通の金属並みに安く書かれていたのだろう。
で、結局、安い保険の治療費で済んだ。
お医者さんの一言で。

その金の奥歯は、10年以上も支障なく活躍してくれた。
私は長いこと、今でも、金を被せてくれた当時60歳くらいだった歯医者さんのことを忘れることはなかった。
あれは、勤労学生となる若者へのはなむけだったのだろうと思っている。

自分の気付かないところで、どこかの誰かが自分のために心を使ってくれている。
こんなことがあのころから多くなり、次第に、人間の存在を超えたものへ傾倒していったように思う。

最近この歯科医院があった淀屋橋に行ってみたら、当時のビルは無くなり、飲食店なども入った雑居ビルになっていた。
大人に親切にしてもらった青春時代の一こまだ。



by Kinotomii | 2016-11-25 21:44 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

四十数年ぶりの坐禅

宇治川にかかる宇治橋。
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長いこと坐禅は諦めていた。
最後に坐ってから四十数年たっている。
膝を痛めたこともあり、完治に2年かかった。
無理をしてはいけない、とわれとわが身を甘やかして。
しかし、普勧坐禅儀その他を読んでいると(もちろん注釈付きで)
魅了されてしまった。
鈴木俊隆老師の『禅マインド・ビギナーズマインド』など、ぜひ、ぜひ、
坐禅をしなければ、と思わせる魅力がある。

それで、
思い立ったら吉日で、ちょうど土曜坐禅会を行っているお寺に直行。
椅子も準備していただいたが、2柱(本来は火へんです)どうにか坐れた。
勢いを駆って翌日、宇治興聖寺の日曜坐禅会に。
興聖寺は、道元禅師が中国から帰朝後初めて深草に建てたお寺を、のちの弟子たちがここ宇治に再建したものだとか。
全く禅寺らしいお寺で、開放的です。

興聖寺はちょうど紅葉が見ごろ。
琴坂の風情。
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昔一人で何回かここに通ったことなど思いながら。

道場は、すでに先に来て坐っていらっしゃる方々が10名以上いらっしゃる。
黒い方形の石の床が歴史を感じさせる。
この空気が違和感なく自分に馴染む。
お寺はどこより落ち着く。

帰りに寄った宇治上神社は、11世紀初めの築で、世界文化遺産だそうです。
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こちらが本殿。
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宇治川沿いの参道筋にこんなカフェがあったので入ってみると、
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中にはギャラリーがあり、ピアノもあり、音楽が鳴っている。
川を目の前に眺めながらお茶を。
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手前にたれ下がっているのは枇杷の枝で、お店に大きくかぶさっている。
座禅をしに行ったのに、ちょっとした一人旅気分だったかも。





 




by Kinotomii | 2016-11-21 16:14 | 宗教 | Trackback | Comments(0)

正伝ということのすごさ

 

正伝ということ

道元禅師の著された『普勧坐禅儀』関連の資料を読んでいてまず単純に感激したのは、自分が四十数年前指導を受けた坐禅の座り方が、全く、一つも違えることなくそのまま『普勧坐禅儀』に書かれている、という事実でした。
というより、『普勧坐禅儀』に書かれている道元禅師の指導する坐禅の仕方そのままが、約760年前から、師家の違い、お寺の違い、時代の推移にかかわらず、もちろん海外でも、曹洞宗のお寺では一つも違えることなく伝えられてきているという、この、正伝ということのすごさに感激したのです。これは、どなたが坐禅の指導をしても、『普勧坐禅儀』に書かれているその通りを行うことになるわけだから、と妙に納得したのです。
現に、愛知学院大学の田中泰賢(たいけん、ひろよし)氏の「現代社会に生きる道元禅師の教え」http://kiyou.lib.agu.ac.jp/pdf/kiyou_13F/13_62_4F/13_62_4_69.pdf
という公開講座の記録を読んでも、坐禅の指導をしておられるその内容が、お寺のそれと同じです。


『普勧坐禅儀』は、道元の語録としてまとめられた『永平広録』第8巻に収められている「あまねくすすめる、坐禅の正しい作法」を述べる書です。(小倉玄照『新普勧坐禅儀講話』、橋本恵光『普勧坐禅儀の話』)


19歳の時、曹洞宗の三松寺というお寺で座禅を始め、前のご住職皆川英真師のご指導の下、坐禅は毎回次のように始まりました。


大谷哲夫『道元 小参・法語・普勧坐禅儀』から現代語訳で抜き書きしてみましょう。

<(前略)それ、参禅は、静室(よろ)し。飲食(おんじき)節あり。

 ありとあらゆるかかわりをを捨てて、すべてのとらわれを止めて、
 善悪や是非などの妄想を起こさないようにする。
 心に起こるありとあらゆるはたらきを停止し、心に湧き上がるありと あらゆる思いや、何を考えているかさえも心の中に置かないようにする。
 そして、仏に成ろうとなどと思ってはならない。このことは、坐禅しているときや寝ている時、日常のあらゆるところでも思ってはならない。

 謂く

結跏趺坐(けっかふざ)は、先ず右足を左の腿の上に置き、左の足を右の腿の上にのせる。(略)

 次に

右の手を左の足の上に安き、左の掌を右の掌の上に置き、左右の親指が互いに支え合うようにする。
 そしてそのまま、きちんと身を正して坐り、左に傾いたり右に傾いたり、前かがみになったり後ろに反り返ってはならない。
 かならず、両耳と両肩を水平とし、鼻と臍とを垂直にする。
 舌は、上の歯の後ろにつけ、唇と歯が離れないようにし、目は常に開く。
 呼吸は、鼻から静かにし、身体が整ったならば、大きく一度息を吐きだし、左右に身体を揺すり、身体の中心で止める。
 そのようにして、不動な巌のように坐禅し、言葉をもって成り立つ世界を超脱し、非言語の世界に突入する。これこそが、坐禅の肝心なところである。>以下略。


 以上が、坐禅に入る前にする一連の順序です。この後、坐禅を、さとりに至る修禅としてはならないとか、安楽の門であるとか、美しい言葉が並ぶ。文学的にも秀逸なのだそうだ。川端康成が、ノーベル賞授賞式で道元の言葉を引いているのは有名。
また、坐禅が終わってからのことも述べられている。
 
 時代が変わり、所や人が変わっても、正しい坐禅のやり方は変わらない、というところが胸がいっぱいになるほどの感動です。道元禅師が、釈尊から如淨禅師に正伝された仏法を嗣続し、後の世にも正しく残すため、国家権力に迎合せず、只管打坐の生涯を通して正伝の仏法を伝える努力をしてくださったこと、背筋の伸びる思いです。

 

これまで坐禅にご縁がなかった人々にとっては、坐禅は45分ばかりただじっと座っているばかりで、時間の無駄ではないか、と考える人もありましょうが、ある禅の和尚さんは、坐禅を始めると体中からどっと汗が噴き出て来るとおっしゃり、またある禅者は、指先までじんじんと熱くなるとおっしゃる。村上和雄先生の細胞の本を読んだ今は確実にわかるのですが、正しい禅は、体内の細胞を、もちろん脳細胞までも、活発にするのではなかろうか。しかし、坐禅は何かの目的のために行う手段ではありません。正しい仏法のための修行の形です。

<道元禅師の道は、ただに、仏道の修行者だけでなく、道心を持った人々に安直な「癒し」ではなく、真実の「魂の安心」を与え、新たな生き方の示唆を与えてくれる>(大谷哲夫『道元 小参・法語・普勧坐禅儀』より)
 


by Kinotomii | 2016-11-17 15:41 | 宗教 | Trackback | Comments(0)

子を亡くした父として 大河内祥晴

コスモスひょろりふたおやもういない    渥美清

秋の野犬ぽつんと日暮れて         渥美清



秋さむし子亡くしたる人の眼受く  2016年11月     

2008年、奈良女子大学で行われた「こども学会」の帰り、大河内清輝くんのお父様と偶然一緒になった。

清輝くんのお父様のまなざしを間近に受けたとき、異様な光にど~んと貫かれたような気がした。言葉少なに歩を進められたその背中の肩のあたりに、照らせど照らせど凝りのほぐれない世間への硬い反骨を見た。孤独とは、あのような背中を言うのだろう。二度と清輝君のような理不尽な悲しい命の終わりがないように、急かされるように活動していらっしゃるのだろう。それにも拘わらず、あの事件以後も悲惨ないじめ自殺は後を絶たない。清輝君の遺書を読むと、イジメの種類に愕然とする。「髪を染めること」をヤラサレテいた、とは、親の想像を超えているのではないか。子どもは、親にだけはイジメラレていることを知られたくないと思うようだ。全ての大人が、イジメの種類を(?)把握し、頭に入れておくべきだ。
親たちにも学校の先生たちにも、世の中全体に、時間的、精神的余裕がない。


by Kinotomii | 2016-11-11 22:26 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

一茎の秋の向日葵直立す   大道寺将司

『大道寺将司全句集』2002年作より   辺見庸 編集

・ 一茎の秋の向日葵直立す  

「秋の向日葵」を色々な風に想像する。真黒な実を顔いっぱいに抱えて、その重みで首を下にうなだれ、葉は茶色く枯れボロボロで、汚れた茎はそれでもまっすぐに立つことを自分に課しているかのようだ。これは、大道寺将司その人のことではないのだろうか。獄につながれる身であっても、直立を保つことが 、思想を曲げないことがせめてもの彼の矜持なのだ。

・ 近寄ると見せて退く蜻蛉かな

 獄の外側の人々の善意も、ふと湧き上がる希望も、手につかめそうでふい、と逃げていく。後ろに飛ぶ蜻蛉は決してつかめない。死刑囚の日月とは、この繰り返しのようなもの。

・ ひたぶるにコスモス揺れていたりけり

 北海道釧路生まれの大道寺は、空き地や休耕田やあぜ道などに、風に揺れるコスモスを日常的に見ていたはず。コスモスはたおやかでありながら、強風にも決して折れることがない。ただひたぶるに揺れるコスモスに、自分にない強さを見ているのではないか。こうであれば事件を起こすまでに至ることもなかったのかもしれない、と、ふと悔恨とも己への憐れさともしれぬものを感じる一瞬を想起させる一句。

大道寺将司は、1974年の三菱重工本社ビル爆破事件(死者8人、重軽傷者300人超)にかかわって逮捕され、死刑の判決を受けた。 現在癌を病み、東京拘置所の病棟にて拘置受刑中とか。→病院で死亡した模様。

・ 棺一基四顧茫々と霞みけり(かんいっきしこばうばうとかすみけり)
2007年

「棺」とは、死体を入れるひつぎのことです。「四顧」とは、辺り一体。周囲。「茫々と」→ぼんやりとなってはっきり見えないこと。この句はあらゆる受け取り方ができる。が、次のような受け取り方も一つである。
涙なのかあるいは頭がはっきりしなくなっているのか、霞んで辺り一体が茫々としている、そんな中に獄人は横たわっている。ベッドの上そのもの、個室そのもの、監獄そのものが、大道寺にとってはひつぎである。その覚悟が、そのまま受刑者そのものであり、すでに棺の中にいる自分である、と言っているようだ。

辺見庸の解説によると、
「 この句は辞世の気組みをますます強く孕んでいる、みごとというしかない句である。「俳諧の誠」も「客観写生」も、尻尾を巻いて逃げて行くだろうほどの、そら恐ろしい観想のきわみ。」

言葉を失うほどの魂の表現だ。表現する言葉が見つからない。初期の頃の句は自嘲気味のものも見かけるが、年をふるとともにだんだん素直になってくる。
この世界を自分のものとしている。不自由な世界を、一つの宇宙として命一つとして生きている。禅者の言う世界とは、このような世界のことを言うのではないか。

・ 若きらの踏み出す先の枯野かな 「棺一基」最後の句
 


by Kinotomii | 2016-11-06 23:09 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

白衣の天使

特別な個人的付き合いがあったわけではないのに、何となく心に残る人がいる。

天使は、ある時突然病院に現れた。
女優の蒼井優に似た、すらりと背の高い、体のすっと伸びたきれいな人だった。
どうも、常に患者のそばにはいないようだったのに、寝たきりの父を見舞っているとやってきて、
「何かこまったことはありませんか」
と言う。こんなことを言う看護師さんには会ったことがないからか、なぜだったのだろう、ビクっとしてしまった。

それで、尿道から下げている尿をためる透明の容器が紫色に染まっているのはなぜですか?(紫色の尿はかなり不気味だ)と尋ねると、
「ちょっと待ってください」
と言うなり、部屋から出て行った。しばらくすると帰ってきて
「膀胱の細菌の殺菌のために薬を使った時の色です。今はもう普通の尿の色ですが、容器に色がついているのです」
と説明してくれた。そして、わざわざ、中の尿が見えるように、手に持って見せてくれた。
私は不安に思っていた疑問が解けて大安心した。

外は良い天気だった。
桜の頃見舞ってから4か月ほど経っていたが、あの桜の木の下に連れて行って花を見せたかった、という思いがずっとあった。

4か月前、外に連れて行くことは無理でしょうか、と尋ねたのに対して、男性の若い看護師さんが、
「点滴を付けているので無理です」
と答えたので、諦めてしまっていた。
白衣の天使を目の前に、無理だと知っていながらも、でもどこかでできそうだと思いながら
「父には桜も見せてやれなかった…」
と言うと、天使は、
「一緒に外に連れて行きましょうか?」
と思いがけない応答をした。
こっちはむしろ驚いて、
「できますか?」
と聞くと、
「できますよ。点滴を転がして行けますよ。今ストレッチャーを借りてきます」
と言った。これにも驚いた。と同時に、看護師の手が足りないのに…、と申し訳なさの方が先に来た。
と共に、この天使は、若いのにこんなことをして病院内で立場が悪くならないのだろうか、と気がかりになった。
「ううん、でも今日はいいです」
とすぐに答えていた。

患者の立場に立って患者のために精一杯働く、これは当然のことのようで、いざ行おうとすると、病院側の条件が整っていない時には、立場上難しいことになるのではないのか。
私はこのことを恐れたけど、この天使は、正義感と使命感を迷うことなく行動に移していたと思う。周囲の同僚に気兼ねする様子もなかった。
1ランク上の立場の看護師だったのか、あるいは、ここの看護師ではなく研修中だったのかもと想像したりする。

現代の白衣の天使は、ただ優しく病人のそばにいて看護していれば良い、といったところから、強い意志と勇気の必要な職種になったと思っている。
若くきれいなあの白衣の天使のことが、色々な意味で忘れられない。
強い意志と使命感で、力強く日本の医療を変えていく人々は、確実に日本中の病院に出現しているに違いないと思う。




by Kinotomii | 2016-11-04 21:59 | 雑記 | Trackback | Comments(0)