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けんせつ小町 現場男子 再UP

今さっきNHKの シブ5時 という番組をつけっぱなしにしていたら、今時カッコいい女子の話題を放映していた。
建築科、土木科を出た女性たちが建設会社に就職し、(注 20年ほど前は、建築科は偏差値が高い人が行くところであり、女子でも偏差値が高いと建築を目指すことになってしまうようだ。向き不向きではなく偏差値で学部を選んでいた時代) 現場で男性に混じって対等に仕事をしておられた。(つい、敬語で書きたくなる)

けんせつ小町、というのだそうだ。
又の名を「どぼ女」。何てカッコいいのでしょう。
彼女たちは母親に父親に「ママ」「パパ」とかおっしゃるのでしょうか。
ちょっと前にNHKであったドラマ「Nのために」を思い出します。
あのドラマでは、自立できない母親が自分のことを「ママ」というのに対して、後に建設会社に就職する娘は一貫して「お母さん」と呼んでいた。そして、娘の方が母親に代わって家事や料理をやっていた。

この、けんせつ女子の方々も「ハハ」とか、「お袋さんよ」とか、「ハハウエ」とか、仰っているような気がする。
あるいは、「ちょっと、アンタ」とかだったりして…。

ちょっと前まで、「歴女」とか、「山女」という言葉があって、今時女性の行動力の素晴らしさに感激していた。
今また、どぼ女 とは、、、それを面白がる女性たちに、いよいよ、女性も性に縛られず、男性に甘えず、被害意識を持たず、堂々と社会で生きていける時代が来たのかな、と嬉しい。

その次に、中小企業でもの作りに励む、「現場男子」という職人さんたちの話題となった。出版社が仕掛けた(だったかな?…何しろ物忘れが激しい) 雑誌から広がって、最近ではFacebookにも広がっているとか。

元々職人という人種が好みです。
我が息子たちにも本当は職人になって欲しかったくらい。
適当な職が見当たらなかったから、普通の会社員になった。
そういうわけで、こんな人々の空気、表情、現場の絵などに、胸が一杯になりました。
また、これを評価する女性の多いのにも感激でした。(つい、丁寧語になってしまいます)
目の付け所を外さず、キッチリと、人間が働くとはどういうことか、
男性の素晴らしさとはどのようなところかを捉えていらっしゃったのには、今時の若い女性、と一括りには出来ない嬉しい再認識という感じがありました。

(2019年3月28日に付加)
というのも、この番組のプロデユーサーは、女性だったからです。
(実は、ディレクターとプロデユーサーの具体的違いが良くわからないが、統括しているのは、プロデユーサーかな、という認識の上で)
このブログで取り上げてアクセスの多かった「ラストドライブ」も女性プロデューサーの、五十嵐何某という方でした。

番組には、プロデユーサーの意思が反映するから、出演者より何よりも先にプロデユーサーの名前を見なければいけません。
あの、声だけ聞いているとアニメ番組かと間違うnhkの おはよう日本 でさえ、プロデユーサーがいる。
まるで、小学生の見るバラエティ番組のようになってしまったので、やむなく朝のニュースは、BSを見ている次第。





by Kinotomii | 2017-03-28 09:08 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

プラハ交響楽団

3月14日(火)プラハ交響楽団を聴きに京都コンサートホールへ。

チェコはレベルが高い、という夫の勧めで久しぶりに京都へ。
スメタナの連作交響詩<わが祖国>6パートを延々と演奏しきった。
モルダウが流れるこのあたりの曲は少し物悲しくて、日本人好みだ。


指揮者はペトル・アルトリヒテル という舌を噛みそうな一度も聞いたことのない名前の方。写真では髪が白かったから年齢に危惧していた。
ところが、舞台に出て来られた足取りと体の颯爽としていたこと。
指揮の様子も、思いがけなく自由自在の感じ。
軽音楽でも指揮するように、身体を前後左右にくまなく動かして広上を思い出させた。案外お若い方かも。
そして、一切手抜きがない。向こうの楽団はどこも、最初から最後まで集中しきり、真剣な表情を崩さないという印象を持つ。
この日のアルトリヒテルも、終わったら精根尽き果てた表情が体中から発していた。
その様子は、座席にいる我々に、満足と敬意と感謝を持たせてくれた。
誠実で真面目で音楽の世界に入りきった仕事熱心を目の前で見せられたら、音楽のすばらしさは言うに及ばず、知らず知らず感動し深い影響を受ける。
この日のデキを点数化するとしたら、95点以上でしょう。

指揮者の聴衆への親しげな表情と、楽団員の変に馴れ馴れしくない態度も良かった。
このあたりの方々は、生真面目なんだろうか。
国によって、本当に雰囲気は違うと思う。
そして、初めてのことだったが、打楽器の良さが際立っていたと思った。
打楽器に共感することは珍しい。シンバルも、どこか違った。
ピッタリ合っているというか…。
案の定、最後に指揮者が指揮棒を指して賞賛したのは、打楽器奏者だった。

音楽はいい。
聴いている時は言葉で何も考える必要がない。脳を休ませることができる。
坐禅もこのようにできたらなぁ。

愉快だったのは、最後の拍手の大きさは当然として、アルトリヒテルが、アンコールの拍手鳴りやまなくても、会場に向かって
「もうこれで私の力は使い切りました」
と言わんばかりの表情で、指揮台に置いていた楽譜を両手で抱きかかえ、
「サヨナラさせてください」とばかりほほえみながら袖に引っ込んで行ったことだ。
そうですよ。それでいいんですよ。とほっとした気持ち。
ここまで力の限り演奏してもらったら、今年のコンサートで印象に残る一つになるはずだ。
満足です。


by Kinotomii | 2017-03-23 15:30 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

せめて10分だけでも

できるだけ、毎朝晩の坐禅を欠かさないようにしている。
たった20分だけ坐る。
20分を何もない状態で坐れれば良いが、息を3つ数えると、もう頭はあらぬ方へ飛んで、雑念、妄念の嵐。

せめて、10分、いや5分、1分だけでも、ただ、静かに出入りする息を数えるだけに集中できれば。
数えている間にも、頭脳は次から次に取り巻く周囲の出来事、人々との会話、気にかかっていること、許せないこと、ああいえばよかった、こうすれば良かった、とすさまじい映像と言葉が駆け巡る。
一体、脳とは何なのだ。

沢木興道禅師は、「坐禅は撃ち方ヤメの状態である」とおっしゃっている。
今の今までいかなる大事に関わっていようと、坐禅に入ったなら、一端すべてのことを横に置き、そこから離れよ。

せめて坐禅をしている時は、すべてから自由になれ。自由になれる。そこが坐禅の良いところ、とおっしゃったかどうかは確言はできないが。
「坐禅は何かメリットを求めて坐るのではない」「坐禅は何にもならぬものである」「何にもならぬもののために只坐る」
望みも悲観も期待も持たぬが良い。

只坐っていても、頭は忙しい。
せめて、1分だけでも無我の境地を味わわせてほしい。せめて1分だけでも息を数えることに集中できれば。
ここで「息を数える」とは、これが坐禅の極意と思われては困る。集中するための方法として、数えることに頭を向ければ、雑念妄念が入り込む余地がなくなるのかと…一つの具体的方法として用いているだけ。

ところが実際は、数えながら昼間の生活のアレコレが、絶え間なく脳を行き来する。
「雑念は湧いても良い。これを追いかけるな」というのが、禅師方の一致した意見。しかし、気付いて雑念を切れば、つぎの瞬間、他の考えが湧き起こる。

いつの日か、ただ石のように気配を消し、石に成りきれれば。
あまりにも高邁な望みかもしれない。望みを持つということが、
すでに、沢木興道老師の言葉から外れているわけだし。





by Kinotomii | 2017-03-19 20:21 | 宗教 | Trackback | Comments(0)

新薬治療

野良猫の眠る背中に冬日照る  
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いつものスーパーに買い物に行くたび、彼女にはここでしか会わなかったなあ、と思う。あの大病のことを打ち明けられる数分前、車を運転しながら、突然彼女の顔が浮かび、スーパーの入口を入ろうとすると、彼女と鉢合わせになり、二人とも、「あっ」と声を上げた。
お互い、お互いの事を考えていたところだった、と唖然となった。
そして、小さなテーブル椅子に掛けて、他人に初めて話すという病気のことを聞いた。
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手術から5か月。
新薬治療が始まり、結果が良ければ家に帰れます、との便りが九州から届いた。ガンと診断されれば、否応なく治療が始まり、回復に向かって連日の戦いとなる。
その辛さをはがき絵で慰めながら、
力いっぱい戦っているシングルマザー。



by Kinotomii | 2017-03-19 19:38 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

ご恩返し

10年にわたる関西と故郷との往復は、思いがけない妨害に直面しつつも、それよりもはるかに大きい故郷の人々の善意を知ったことで、何にも代えがたい宝物となりました。

親の介護がなければ、同級生たちとの再会、そして再び深い友人関係に発展する機会はなかったでしょう。
学生時代は、将来こんなに親密な心を許した友人になろうとは考えたこともなかった、と不思議な気持ちでお互いに話し合ったのでした。

友人たちは、帰省したことを心から歓迎してくださり、同級生を集めて小宴会を開いて下さったり、少人数でお茶したり、北薩摩近辺の有名な土地にご主人とともに案内してくださったり、お家に泊めて下さったり、お風呂に(温泉です)車で連れて行って下さったりと、普通の人間関係では実現しないような心づくしを自分が受けたことをありがたく思っています。

改めて、自分は「福(ふ)がよか」幸せもんであることを実感しています。
そして、善意の塊のような人々と、かくも再々多々お目にかかり、ともに時間を過ごせることは、よく考えればそうざらにあることではないと、謙虚になれる。
謙虚になれば幸せ感がふつふつと湧き、自分に自信が芽生える。
この人間心理の不思議は、どういうことなのでしょう。

今、お世話になった友人たちのお名前を改めてイニシャル化してみたら、大変親しくしてくださった方々が、3人共にY子さんだったことにびっくりしています。

他にも、A子さん、T子さん、J子さん、S子さん…、10年は、両親にとっても長かったでしょうが、別の意味で、介護に通った私にとって、貴重な時間だったことに気付かせていただきました。

恐らく、両親が残してくれたたった一つの遺産がこれだったのでしょう。
使えば減るものとは違い、これは、人と場所を得て、ますます大きく成長するものです。
次々と他のものと繋ぎ、増えていくものです。
私の代で終わらず、子孫にまで良い影響を与え続けていくに違いありません。

友人たちから受けた温かい御恩s(複数扱い)をどうやって返していけるのだろうか、と日夜考え続けています。

まるで家族のように、一番お世話になったY子さん。
時には離れを提供してくださり、甑島の珍しい魚、土地の特別米、ヨモギもち、おかべ、野のニラなどの土地独特の食べ物を、せっせと誠意をこめて歓待して下さった。
まるで、生きていたころの母親みたい。
親切、という言葉にとどまらず、人間の器の大きさを見せられた経験でした。頭が下がる。

ご恩を頂戴した多くの故郷の友人たちに、もう死ぬまでに返せないかもしれないご恩の数々は、他の方々に返していきましょ、と友人たちに伝えました。
そして、世界のご恩の輪を大きくするのです。

田舎には特産物という宝物が沢山あります。
でも、それ以上に、帰って来た人々に払う歓待の気持ちは、都市部に住んでいてはあまり気づくこともない人間性の基本の部分です。
これに触れられ、こうやって自覚できたのは、父の死からまもなく2か月になろうとする昨日のことです。

人には人を変える力があり、それは意識してできることではありません。
当たり前のことを、当たり前に行っている態度にこそ、人を変える力が潜んでいるのではないでしょうか。
昨夜、お寺の薄暗い禅堂の単の上で、突如として楽になったのです。






by Kinotomii | 2017-03-12 13:57 | 雑記 | Trackback | Comments(0)