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人間が命を作れる時代が来るのか

『スイッチ・オンの生き方』が出版されたのは、今から7年ほど前。
iPS細胞の報告がされてからもすでに10年になる。
研究の進展には目を見張るものがある。
外国との競争もある。
10年前には、人間の命を人間が作ることはできない、と誰もが考えていたはずだ。
また、作ってはいけないとも考えていたはずだ。

私は、約2年前に、CiRA(京都大学 iPS細胞研究所)のgaccoでiPS細胞のことを学んだ時から、当時の細胞研究は壮大な嘘の中にいるのではないかと疑いたくなるほど内容が想像を超えていた。
どこまでが科学の進歩で、どこからが神の領域なのか、常に謙虚でいなければならないという意識からCiRAでは生命倫理部門を設けている。(上廣倫理研究部門。あの朝起き会の実践倫理宏正会の上廣栄治氏の名前を冠しているのだろうか)

ところが、現在それはさらに進み、再生医療応用の研究以外に、iPS細胞から精子・卵子を作る研究がすすめられているらしい。
これに焦点を当てた研究の紹介が、10月22日(土)に妙心寺の退蔵院http://www.taizoin.com/で一般の人向けに行われる。
とうとうここまで来たのか、と勝手に進んでいく歯車を後ろからはらはらしながら見守る気分。

先日のニュースで、生まれてくる赤ん坊の21人に一人が人工授精児とあった。
この20年で、夫の父親の精子で受精して生まれた赤ん坊は170人超。
実はもっといるのではないか、とコメントした人もいる。
10年前は、人工授精児は50人に一人と聞いたような気がしている。
なかなか妊娠しない最近の傾向に、人々はただただ困っているという状況でしょう。
理由について十人十様の意見があるだろうが、人工授精の治療は大変つらいと聞く。
これによって妊娠した女性は多いが、大金がかかるとも聞く。
今のこのような社会の現状が、精子、卵子の生成を求めているのだろうか。
本当にiPS細胞から精子、卵子を作っていいのだろうか。
宗教的観点や倫理的観点から一般人の感覚が求められるところだ。



by Kinotomii | 2017-06-24 11:17 | 宗教 | Trackback | Comments(0)

報四恩精舎 野田大燈 (ほうしおんしょうじゃ のだだいとう)NHK 心の時間から

報四恩精舎は、野田大燈師が一から築かれた曹洞宗のお寺であるらしい。
発心から出家、鶴見総持寺での修行、托鉢、醤油樽のお堂(住まい)、廃棄されたバスのお堂と進んで、その間に宗教活動に賛同してくださる方々や、寄付を申し出てくださる方々のお力で、現在は父上から引き継いだ開拓地のような土地に座禅堂をはじめとした寺院の体裁が出来上がっている。
野田師の素晴らしいところは、座禅の力で、不登校児や、引きこもり、問題児などを本来の人間の姿に戻していらっしゃるところである。
頼まれて引き受けた不登校児などが、朝は5時起床、座禅、お経を唱え、次第に自信を取り戻していく過程と結果を、「集団の力学」「心身一如」「守・破・離」などの言葉で説明された。

更に具体的にこの推移をまとめてみると、
本人が「なおりたい」「再生したい」「自立したい」と思うところに発心が生まれ、それらは、頭よりまず体を使い、集団生活の規則を守り、必ず5時に起きる、必ずお経を唱える、といった、このような人々にはもっとも難しいと思われる習慣的なことをまず何も考えずに体が従う状態から始める。
家庭にいてはできないことでも、集団だからできるし、次第に「坐禅が気持ちいい」「無意識にお経が鼻歌のように口から出る」「できることが増えることで変わる。自信につながる」といった、具体的な目に見える結果につながっている。
坐禅は、息を整えることで心が整う、という長所があり、体の中の気の流れを整えるのだそうだ。
自分の経験から実感としてこのことがわかる。
いかに疲れていても、坐禅の後は、体がすっきりとしゃんとするのである。

甘えは許されない。ここで心の再生を取り戻すまでの期間もはっきりと期間を区切っている。
半年から1年。
再生するのに引きこもっていた期間かけるのは無理。
この言葉も好ましかった。
といっても、禅の力が自然と参禅者の体と心を整えていくのであり、これは、当の本人たちの力である。
このお寺の名前「4つの恩に報いる」の4つの恩とは、現代風に言い換えると
自分を生んでくれた父母、社会(先生、友人)、ふるさと、大自然、であるそうである。
オリジナルには三宝(仏・法・僧)が入っているが、現代ではわかりにくいため、このようにわかりやすく言い直しておられるものと思われる。

そして、野田師の言葉に全く共感したのは、自分がやりたいと思ったのではなく、何かしら環境がそのように整ってくると、外から具体的な依頼が来たり、次にやることが自然と動いていく、とおしゃった時である。
「成るべくして成る」
「誰かに動かされているようだ」
この言葉がとてもわかる。
宗教活動が社会活動にまで広がっている、これこそ、現代に必要な宗教の在り方なのではなかろうか。
釈尊の行った、生きている人のための宗教。




by Kinotomii | 2017-06-24 11:14 | 宗教 | Trackback | Comments(0)

坐禅の型2

坐禅の時に、頭をどのように保つべきか。
先日、頭頂から天に向かって光の矢を放つように、その意識を持って坐る、このように書いた。
これは、その通りである。であるけれども、もう一つ、もっと楽な保ち方がある。
頭頂を自ら延ばすのではなく、あたかも、天から1本の糸でつりさげられている意識。
天から細い紐が延び、それが頭頂を吊り下げているという意識。
こう考えると、頭は楽になる。
操り人形のように、体全体が天から吊り下がっていると意識すると、肩も腰も楽だ。

「目は半眼」というが、ある有名な禅僧は、閉じた方が楽なら閉じても良いですよ、とおっしゃった。脚は、きつかったらあぐらを組んでも良いのですよ、とテレビでおっしゃった。

でも、先日の坐禅では、目を半眼にしているのは、どこも見ない。どこも凝視しないで、すべてを観る意識だ、と説明された。
なるほど!
佛になるとは、すべての方向に意識を向けなければならないということ。
例外なく、すべての方向に、すべての人々に、すべての現象に、真剣に集中している姿が、佛なんですね。
だから、仏像の眼は半眼であるが、すべての衆生をあますところなく観ているということと一致する。
「坐禅とは、佛になること。」
「坐禅は安楽の法門」と道元さんはおっしゃった。(らしい)

でも、「坐禅している姿には、その人の日々の生活、心構え、人生まですべてが見える」と言われると…、怖い事でもある。結局、坐禅を重ねることで、自分の真の姿を見るということでしょうか。




by Kinotomii | 2017-06-14 18:12 | 宗教 | Trackback | Comments(0)

修行


最近、禅と瞑想が近づいているらしい。
国際的に活躍されたティック・ナット・ハンの映像を見ても、参加者が自由な感じである。これも良いけれど、
道元禅師の意図された、「世俗に背くべし」に、懐かしさと安心を覚える。

アメリカでこの「世俗に背くべし」の道元禅を普及させようとして、今から約50年前、片桐大忍という禅僧が、ミネソタ州のミネアポリスに禅道場を開いた。その最後のお弟子さんである、彰顕・ワインコフ老師の著書を現在翻訳している。
その中に、ワインコフ老師が修行された寺として、熊本県菊池市にある聖護寺の「国際禅道場」が出て来た。
四国の瑞應寺のご住職であった楢崎一光老師が復興に力を尽くされたらしい。
ネットで引くと、感動した。まだこのようなお寺があるのかと。
http://kikuchinokoto.blog88.fc2.com/blog-entry-521.html

ここでは外国からの修行者が、修行生活を送っておられるとのこと。
(註:現在諸般の事情から、修行者を受け入れられない状態)

はっきりと言葉で説明はできないが、私たちの中には、道に迷ったとき基本に戻りたいとする気持ちが生まれる。
今こんな気持ちの中にいる。



by Kinotomii | 2017-06-09 22:43 | 宗教 | Trackback | Comments(0)

坐禅の型


坐禅の型は、道元禅師の著された『普勧坐禅儀』に簡明に書かれているから、その通りにすれば間違いはない。(はず)

最近坐禅を再開して思うことだが、坐禅の型が崩れてきているのではないか。
先日の坐禅会で、腰痛を訴えておられる方があった。
坐禅を集中的にすれば腰に負担がかかり、筋肉の疲労から腰に痛みが来ることもある。


思えば、19歳から23歳まで指導を受けた皆川英眞老師の指導は良かった。
毎回、坐り方の基本を言葉で説明された。

曰く、
「足を組んだら、両掌を膝の上で天に向け、ゆったりと呼吸をする。深く吐き、次に自然に空気が腹に入るにまかせる。
上半身は、臀を後ろに突き出しつつ、腹は前に突き出す形を意識する。
3回呼吸をしたら、最後に腹いっぱい吸った形の体を保ったまま、臀の上にでんと腰を落とす意識。
これは腰の筋肉ですわるのではない。背骨で坐るのだ。

老師は言われた。
「背骨で床を(単を)突き刺せ。頭頂で、天をつらぬけ」
頭頂とは、腰から背中、首、頭、と一直線に伸びたその最上部、頭のやや後頭部の身長の一番高い部分のこと。
ここから天をつらぬく光が出ているイメージを描く。その光が、一直線に天に向かって刺し貫いている意識。
身長を計る時に、少しでも高く計ってほしくて、緊張と共に、背筋を身長計に添わせる、あの意識です。

と、こんなことを老師が言われたのではなく、
「背骨で床を(単を)突き刺せ。頭頂で、天をつらぬけ」
とだけ言われたのです。
こうすると、腰への負担が少ない。背骨が大事。




by Kinotomii | 2017-06-09 10:41 | 宗教 | Trackback | Comments(0)

バラ園

たまには、頭と目の洗濯をしなければ病気になってしまう、との危機感から、気の合う友人とバラを見に。
霊山寺のバラ園。お寺にはよくアジサイ園があるが、アジサイは香りは一切ない。バラは、入った途端、そこはかとなく香る。
チケットで寺域まで入っていける。平安時代からの由緒あるお寺だ。

名前は忘れたけど…。
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やはり、日本のは楚々として美しい。
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バラの美しさは、完璧と言っても良いほどだ。香りも良い。変に甘くなくてすっきりとしている。
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当日は、中高年の御婦人方であふれるほどだった。
園内に備え付けのローズティーのカフェは満員だった。



by Kinotomii | 2017-06-06 22:37 | 雑記 | Trackback | Comments(0)