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澤木興道 名言②

c0356158_16212414.jpg
坐禅とは、内面にある内観の客観である。こちらが暗うなれば、天地日月も暗うなる。こちらが嬉しければ、タクアンまでも笑う。こちらが怒っておれば、敷居までが怒っておる。こちらが元である。

ものを見るということは、前にものがあるのじゃない。したがって考えようによっては、一切のものはみな自分の影を見ているのである。

<澤木興道老師にお目にかかったことはないが、坐禅と共に、かなり本を読み勉強した人であろうと思う。寺も持たず、妻も持たず、子も持たず。真の雲水ですか。この間、昔録音された興道老師のインタビューをラジオで聴いていたら、全国を提唱行脚され、その土地その土地のお寺に泊めてもらっていたらしい。「ワシは居候の名人ですからな」と淡々とおっしゃった。

by Kinotomii | 2017-08-30 16:49 | 宗教 | Trackback | Comments(0)

お隣のおばあちゃんのぬか床

ぬか漬けがおいしい
ぬか漬けを食べるたび、必ず40年前の小西のおばあちゃんを思い出す。
40年前所帯を持ったのは、古い一軒家だった。
平屋の借家で、小さな庭があった。
庭の向こう側が、小西のおばあちゃん宅の勝手口になっていた。
何も知らない共働きの若い夫婦に、おばあちゃんは、近所付き合いからスーパーの場所、米屋、布団屋の場所まで、聞かなくても教えてくださった。

やがて子供が生まれると、毎日のようにやってきて、我が家の赤ん坊と遊んだ。
この子を産む時は、産院まで付いてきて(予定日より早く陣痛が来て、親が間に合わなかった)
何と! 私の腰をずっとさすって下さったのだった。
どこで買ってきたのか、あずき餡の大きな餅饅頭を二つ胸に抱え、
「食べなはれ」
と真剣な顔でおっしゃった。

長男はおばあちゃんによくなつき、自宅の庭とお勝手口を自由に往来した。
おばあちゃんもよく我が家にやってきて、ニコニコ笑いながら子供と遊んで下さった。

子供さんはいらっしゃらなかった。
だからか、自分の孫のように何かと気を配って下さった。
上等のダシの効いた煮物や炊き込みご飯などを、おすそ分けしていただくこともあった。
おばあちゃんは、若い頃資産家の奥様だったらしく、お手伝いさんも使っていたとか。
当時の小さな家に、値打ちのありそうな屏風を立てていらっしゃった。
だから、だし昆布は上等を使っておられた。
お料理が美味だった。

時には、上の子はおばあちゃんの家で長く遊び、お昼寝していることもあった。
親の遠い我が家にとって、有難いご近所さんだった。
年齢は多分77歳くらいだったと思う。

そのおばあちゃんに異変が起きた。
手術しなければならなくなったのだ。
当時車も持っていなかった我が家にお手伝いできることは少なかった。
小西のおばあちゃんは、入院の準備も何もかも自分で完璧にやって、
ただ一つ、頼まれごとをされた。

ぬか床を毎日かきまわすこと!

おばあちゃんが毎日ぬか漬けを食していらっしゃることは知っていたが、若かった私にとって、ぬか床の重要性はあまりわからなかった。

言われたとおり、毎日おばあちゃん宅に鍵を開けて入り、ぬか床を掻き混ぜたが、次第に面倒になりおシャモジでかき混ぜるようになった。

しばらくしてお見舞いに行くと、いの一番に小西のおばあちゃんは言った。
「ぬか床は大丈夫でっか?」
勿論、大丈夫、毎朝かき混ぜていると答えた。

この歳になると、ぬか漬けの美味しさが腹にしみる。
夏は特に美味しい。
暑い夏が去りゆく頃、きゅうりや茄子の、酸味とともにかすかに甘みのあるぬか漬けは格別だ。
食べ物と共に印象に刻まれた思い出は、ほぼ一生、人の記憶に残る。
それと共に、この頃よく考える。
親戚でもない隣人でも、おばあちゃんのようにお節介することが、今の日本の子育て世代には必要なんじゃないか、と。
親が遠いと、学べることは限られる。手伝って貰えることも限られる。
知らない親子でも、ちょっとだけ声かけするだけでも、子育ては開放的になるんじゃなかろうか。
おばあちゃんには、大根を炊き込んだ炊き込みご飯や、冬瓜のクズかけなど、本格的なお料理を教えて貰った。
小西のおばあちゃんがはるか昔に亡くなった今でも、あのぬか床の運命が気になってしまうことがある。
あれから40年経った。









by Kinotomii | 2017-08-14 20:18 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

今日一と日しかと生き抜く花むくげ

今日一と日(ひとひ)しかと生き抜く花むくげ    澄子
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むくげは、はかない花だが、澄子さんの槿の絵は力強い。
むくげは、2日できっちりとしぼんで、ポロと落ちる。 一日花ではない。
お茶席の床の間によく掛けられる。
「今日のお客様、あなた様だけのために生けた花です」
と、いうわけで、最高のおもてなしとなる。

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むくげは見るからにはかなく美しいけれど、いざ、手折ろうとすると、椿のようにポキンと折れることは絶対にない。枝を包んでいる樹皮が繊維質なのか、やっきになればなるほど、くたくたになり、手でちぎることはできない。
弱そうに見えるものほど、強靭な抵抗を見せる…。
大韓民国の国花である。

緑陰に図鑑持つ虫博士の子     澄子
子育てをしたころの、こんな世界が懐かしい。
「緑陰」は夏の季語。「虫」は秋のように思うが、「虫鳴く」とか、「虫すだく」となると秋になるが、「虫博士」という名詞は、当たらない。
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カブトムシの力強いこと。病気と力強く闘っていらっしゃることがうかがわれる。

信長を狙ひし藪に百合の花     澄子

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これは、澄子さんの想像の句である。
なぜか、とても良い句だ。信長と百合の花の取り合わせ。
ちょっと普通は思いつかない。
彼女は読書家なので、頭の中のイメージがどんどん膨らむのだろう。
闘病のため避難中の土地でも俳句会に入り、良い先生を得た模様。
俳句は、先生の人格や俳風によって、どんどん伸びたり、つぶされたりする。決して、どの先生でもよいというわけではない。
また、結社の主宰の句がだいぶ変わっていると、それを慕ってきた人々と同じような句を作らないと、100パーセント否定される。
納得いかなかったら、即他に移るべし。しかし、移ったところで自分の以前の結社を漏らしてはならない。狭い世界だ。 
まあ、一流の俳人にはこれは当てはまらないだろうと思う。どんぐりの人々ほど、うるさい。

今度は、彼女の才能を伸ばしてくださる良い先生に出会えたようだ。
 


by Kinotomii | 2017-08-07 17:53 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

遥かな人へ

一隅を照らすがごとく歩みたし 学びの道に 光射し来て  順子


和島順子が逝ってからそろそろ
2年になる。残されたDVDを見ながら、声の美しさに聞きほれる。

すでに異常が見つかり、しかしまだ抗がん剤は使わない時期に、猛烈に録音した中の一枚。

顔もふっくらとし、60歳を超えているとは見えない清純な印象。15曲くらい続けざまに歌っても、声が嗄れることはない。

高い声も低い声も自由自在。稀有な声を持っていた。本当にもったいない。


心から歌が好きだったのだろうし、この映像の中では、病気の憂いなどみじんも感じさせない。

というより、歌っている時が一番幸せだったのだろう。深く傷ついたために、子供の純真な心に平安を求め、童謡を歌うことで救われていた。


彼女には子供のような純粋なところがあった。そして、歌手らしく、外見にこだわるところも。

入院しても手術しても、長い髪は切らなかった。いつか復帰して舞台に立つのだという、強い意志を持っていたためだ。


積極的に病気と闘った。決して、私の前では涙を見せることはなかった。


野辺にこそ行く道ありて花咲かん 風もそよぎて 鳥も歌いて   順子


とうとう手術という日、私は故郷にいた。

彼女のお母様が暮らしているグループホームに行き、面会を求めた。母親には娘の病気のことは言ってなかった。

順子さんの友人だ、と名乗ると、「あの子は今どこにいますか?」「元気ですか?」と何回も繰り返した。


私は、お母様の動画を何枚か取り、それを遠く離れた岐阜の病院にいる順子に送信した。母親の動画を見て、病人は初めて泣いたという。

お互いに遠く離れて暮らせば、お互いの生死も別々の終わり方になる。


癒さんと思いて歌う事なきに ふと眼をやれば 老婆伏しをり     順子


私たちは、心が面白いように通じた。
4時間、5時間、話してもまだ話すことがあった。

順子は、子供のような純真な心を持つ一方、深く人心を知り尽くした、海のような大きな包容力があった。

もう少し共に生きたかったと思う。


最後に見舞ったのは、ちょうど今頃の季節。亡くなる
2週間前だった。治療を諦めてホスピスに入った数日後のことで、

病人が、〇〇子ちゃんと一緒に食べたい、と希望した桃、すいか、ぶどう、をできる限り買って持参した。


この時も、衰弱しきった病人と、何と
1時間余りも続けざまにしゃべった。
しゃべっては、私が持って行った本人の歌のテープを聴き、黙ったままで、数時間過ごし、した。

別れをして高山線の小さな駅に立った時、このまま帰りたくなかった。人は死ぬのだ、ということが抗いようもなくひしひしと来た。


大昔、
40年以上前、高山線を北へ上ったところにあるお寺で坐禅をした。そのお寺をもう一度見てみたかった。

自分の足跡が確実に若いころそこに刻まれている、それを感じて、納得したかった。それで区切りをつけたかった。


今思えば、これは、和島順子が私に指し示してくれた道だったのかもしれない。

そして、和島順子との再会も、彼女がこんな運命だとご存じの方が、私たちを会わせたのに違いないと思う。


気の遠くならんばかりの道のりの 遥かなりけり 天頼み行く      順子



by Kinotomii | 2017-08-01 21:35 | 雑記 | Trackback | Comments(0)