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<   2018年 02月 ( 9 )   > この月の画像一覧

小平奈緒 と イ・サンファ

スピードスケート500メートルの小平奈緒選手(金メダル)と、イ・サンファ選手(銀メダル)の、試合後の友情を確かめ合う姿は、オリンピックならではの美しい景色となりました。
お二人の勝負にかける気迫のすさまじさは、それはそれでアスリートとしての美しい姿だったし、勝負がついた後、すぐに小平選手がイ・サンファ選手の肩を抱きに行ったのが、勝負する姿よりも美しかった。
小平選手がその場で報道陣に、イ選手がいかに心根の美しい人であるかを明確に伝えたことに、その内容に、胸がジーンとなった人も多かったでしょう。
 国の違いを超えて、人と人は友情をはぐくむことができる。
それなのに、政治の場ではなぜ日韓はいつまでもぎくしゃくするのだろう。

日本語教師をしている時に、韓国の人は中国人についで多かった。
韓国の生徒に嫌な感じを持ったことはない。
なぜなら、韓国の人はこちらを頼ってきてくれる。
日本語教師としては平均よりだいぶ年上だったから、年長者を敬うというところで、なついてくれたのだろうか。
他にも、色々な機会に韓国の人と話す機会があったが、全く違和感がなかった。
個人個人の責任ではなく、政治のやりかたがまずいのではないかと思う。


by Kinotomii | 2018-02-23 20:30 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

夏の山国母いてわれを与太という  金子兜太

金子兜太 逝く。98歳。

* 夏の山国母いてわれを与太と言う  兜太 昭和60年

母84歳。兜太66歳の時の作。兜太俳句の中で最も好きな句。

* 母逝きて与太な倅の鼻光る  兜太 

母104歳、兜太86歳。
最晩年まで豪放なイメージを崩さなかったご本人を、テレビで拝見していた。与太に甘んじたご本人も、母には弱かったのでしょう。


次は、「すごい」の一言。白梅と青鮫が、ある部分でつながる。

* 梅咲いて庭中に青鮫が来ている  兜太 昭和53年


次の句は、長崎の爆心地に近いところに住んでいた時に、戦争体験とも重なりながら、「湾曲」「火傷(かしょう)」の言葉を得てできたという。最も有名な句かもしれない。「湾曲」は、人体をも思わせる。漢語動詞(日本語教育の世界では、「スル動詞」ともいう。名詞にスルをつけただけ。)二つ、名詞二つと、単語の羅列によって極度に省略されたキレの良い句だが、いかにも痛い、辛いイメージを喚起する。隠喩的俳句か。しかし、想像力がなければ、何のことかわからないに違いない。ご本人はじめじめした句は作られない。「悲」の世界を、決して背景の説明はせず、テレビで淡々と語っておられた。あくまでも俳句としての評価に基準を置いている態度だった。

* 湾曲し火傷し爆心地のマラソン  兜太 昭和33年

ご冥福をお祈りいたします。   合掌




by Kinotomii | 2018-02-22 17:36 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

おねはんさま

 2月15日はお釈迦さまがお亡くなりになった御命日で、お涅槃会とよばれます。ネハンはインドの言葉で、苦しみ、悩み、迷い、色々の欲望の火が吹き消された、お悟りの境地を言うのですが、お釈迦さまを慕って「おねはんさま」の御供養をしています。
 お釈迦様は80歳でお亡くなりになるまでに沢山のお説法をされました。中でも三法印(さんぽういん)は、人生の目印と言われています。佛教の目標とします。
①世のすべてのものは移り変わる。(諸行無常)
②この世に私のものは一つとしてない。(諸法無我)
③欲望の火が消えると平安になる。(涅槃寂静)
<これは、日本に昔から伝えられた処世訓でもあります>

楢崎通元『禅のたより』より抜き書き。自分の勉強のためにも書き写してみました。
このお話は、愛媛県新居浜市にある僧堂、瑞応寺の御住職、楢崎通元老師の絵本の中にあります。「禅のたより」という本です。子供さんをお持ちの方にぜひ、お薦めします。値段は書いてありませんが、1500円から2000円くらいと思います。瑞応寺に直接連絡。

2月15日と言えば、恐れながら父方の祖母の命日で、母親が毎年お寺で御供養(浄土真宗)をしてもらっていたのを思い出す。亡くなってから40年もの間毎年欠かさずお寺に参り、姑の供養をお寺さんにお願いしていたとは……。
そういえば、
「今日はおばっさんの命日だから、仕事は休み」
と、自分の休みの日に決めていたようだ。




by Kinotomii | 2018-02-15 15:33 | 宗教 | Trackback | Comments(0)

六魚庵箴言 坂村真民

六魚庵箴言

狭くともいい
一すじであれ
どこまでも 掘り下げてゆけ
いつも澄んで
天の一角を 見つめろ
貧しくとも 心はつねに高貴であれ
一輪の花にも 季節の心を知り
一片の雲にも 無辺の詩を抱き
一椀の米にも 労苦の恩を感じよう
いじけるな
あるがままに
おのれの道を
素直に
一途に
歩け

(坂村真民が、昭和26年、最初に自費出版で出した『六魚庵天国』の巻頭に載っている詩。)


by Kinotomii | 2018-02-13 16:41 | 宗教 | Trackback | Comments(0)

瑞応寺の大銀杏

次の写真は、樹齢千年くらいと言われている瑞応寺の大イチョウです。

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葉を落としていますが、秋には町からも「瑞応寺のいちょう」として眺められ、人々に愛されているとか。
枝分かれ、幹分かれして曲がりくねり、大変な迫力です。
このような大木を前にすると、まるで想う人の前に出たように胸が高鳴ってしまう。
その気持ちが木にも伝わり、間もなく風が起こり、木の茂みがざわざわと騒ぎ出す、といったことが子供のころからの日常でした。
四柱推命でいうところの、私の日柱の天干は、「乙」(きのと)です。「乙」は蔓を表します。つまり、大木に巻き付いて成長していくのが蔓であり、相手が大きいほど自分も大きく成長するわけです。しかし、相手が弱いと枯らしてしまう怖い星です。

幼いころから木登りが趣味であったから、木の形様を見て、すぐに、頭で登る算段をする癖がついています。
ここまで大きいと素手で登るのは無理でしょうが、もし許されるなら、はしごをかけ、あの枝分かれしたあたりに腰かけて風に吹かれたなら、どんなに気持ちが良いことだろうか。通元和尚様に一喝されそうですが。
この大銀杏のことは、『禅のたより』の15ページに「布金の大地」として記されている。
宗教家の方々のお考えになることは、すべてが、仏法に縁った有難いお話となるところが、凡人と違うと反省。

瑞応寺のイチョウは、千年近くの間、無数の雲水さんたちの喜びと苦労を見てきたのでしょう。


by Kinotomii | 2018-02-11 17:13 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

禅のたより 楢崎通元

これは、新居浜市にある瑞応寺専門僧堂の堂頭(どうちょう)、
楢崎通元老師の書かれた絵本です。
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絵がかわいらしいことは、何とも言えない。絵には、その人の本質が出るっていうけど……。

この中で、難しいと思われている佛教のことを、とても分かりやすく、幼稚園児でもわかるように書いて下さっています。
毎晩一つずつ寝る前に子供に読んであげたら、自然と、お釈迦様のことや、仏法のことが頭に入るでしょう。
そして、仏法が体に入っていたら、色々な邪悪なものから守られるに違いありません。

この中に、「トラ年。バンザイ・坐禅の年」というのがありまして、通元方丈様が、なぜ寅年のひいきをされるのか、理由がわかりました。

途中から書き出してみると、

<処で寅という字は、家の中で真中の柱を両手でしっかり持って、ゆがみ、曲がったのを引き延ばす形です。人間の体の中心は背骨で、首から肩から両手、腰から両足につながって、支えあって動けるのです。お釈迦様は背骨を正しくすると、心も大きく深く強くなる「坐禅」を教えて下さいました。
 坐るのは人間の特徴です。トラやライオン、犬や猫は4本足で生きているから、体をゴロゴロ転がし、走ったり背伸びして運動します。坐禅は、体と心を元気にする一番良い運動です。元気でなかったら、「清く正しく情深くして」立派に生きることなんか頭に浮かびません。
 私は寅年の2月生まれです。ヨワムシドラ、ナマケドラ、イジワルドラにならぬようにおちかいします。>

寅年は、自分がそうだから言うわけではないけど、どことなく真っ直ぐですもんね。

お求め、問合せは、瑞応寺まで。0897-41-6563 価格は、多分、1000円から1500円。書いてありません。




by Kinotomii | 2018-02-07 10:27 | 宗教 | Trackback | Comments(0)

興聖寺 道場

宇治の興聖寺の玄関土間に掛かっているホウ(木へんに邦と書く。)です。又は魚鼓とも言うらしい。
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一体何百年経っているのだろう。
お腹のあたりが破れているということは、これだけ激しく雲水さんたちの訪問を受け、力任せに叩かれたということ。名誉の負傷とでも。

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きっと良い時代があったのでしょう。

坐禅堂の聖僧(しょうそう)は、やっぱり、文殊菩薩様。
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何だか夢を見ているようだけど、数か月前までは、怖い禅僧がお座りになっていたように記憶するが…。
代わられたのだろうか、老化のための記憶違いだろうか。➡️賓頭盧尊者(びんずる尊者)だった可能性あり。

道元禅師様は、新暦1月26日がお誕生日だそうです。子供のころの名を
「文殊丸」と言われたそうです。
通元老師の『禅のたより』で勉強しました。
 道場に文殊菩薩様を据えるのは、智慧を与え悟りに導いて下さる仏様だから、ということです。 ⇒ 今日佛教の勉強に行ったら、坐禅堂の聖僧は、臨済宗でも文殊菩薩様だそうです。又は賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)のところもたまにあるとか。物を知らないということは、罪作りです。


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獅子の背に座り、美しい文殊菩薩様です。この文殊様、蓮華一本を両手で捧げていらっしゃるが、右手に剣、左手に蓮華という文殊様が多いのだろうか。髪を団子にして、その団子の数で増益、敬愛、怨敵調伏、息災などを表すそうだが(澤木瞳子著 『満つる月のごとし』)興聖寺の文殊様は、地蔵菩薩のようです。獅子も愛らしい。




by Kinotomii | 2018-02-06 19:36 | 宗教 | Trackback | Comments(0)

仰ぐれば鳥腹白し春近し 澄子

昨日、いつものスーパーに行き、彼女が来ていないかどうか、とても近しい気持ちで探したのだったが、帰宅してみたら、手紙が着いていた。

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昨年の立春に抗がん剤治療を始め、とうとう一年経った。
昨年の今頃の句が、

立春や新薬治療始まりぬ

だったこと。ここにアップすることで、ご自分の子供さんたちの目にも触れ、自分でも句作の励みになるという。
これだけの絵を描き、俳句を作るとなると、エネルギーの消耗も激しいことだろう。
でも、只管打坐で生きていらっしゃるから、内容がとても良いと思う。
計算のないまんまの句だ。



by Kinotomii | 2018-02-06 16:08 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

戌年

2018年、今年は戌年ですね。
九州のお寺さんの奥様から、戌年にまつわるお話を送っていただきました。

<「戌」とは、守るという意味。何を守るか。心を守り、人間を守り、自然を守り、社会を守り、家族を守ることです。
 守る心は、まず己を守ることから始まります。「守り」は、自己を自制するということで、戒めの心です。この戒めの心が麻痺すると、守りが崩れます。
自己破壊、人間破壊へと進んでいきます。守りのない発展は、すぐ崩れが起こります。すぐ腐敗が始まります。自然はそれを教えているのです。須田道輝>

戌年をこんな風に考えたこと、なかったです。
今年は、守る年でいいんですね。自己を自制しながら戒めの心を忘れず、謙虚に一日一日を暮らしていくこと。

……、と納得したとたんに、いつものことで、この決心は実現不可能となるのが、これまでの私の人生でした。

by Kinotomii | 2018-02-06 14:14 | 宗教 | Trackback | Comments(0)