人気ブログランキング |

やりたいこと、行きたいところ、話したい人、書きたいことが多すぎて。
by Kinotomii
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る
カテゴリ
全体
宗教
音楽
環境

旅日記
雑記
親子関係
食べ物
未分類
以前の記事
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 07月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
お気に入りブログ
アトリエkotori*の...
年金だけでも楽しく暮らし...
還暦からのネイチャーフォト
野鳥の素顔 <野鳥と日々...
アリスのトリップ
Lady Satin's...
写鳥楽
今日の易の言葉
最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
初発心の菩薩
at 2019-08-15 17:24
アーティカス
at 2019-08-07 17:01
表現の自由とは? 二宮金次郎..
at 2019-08-07 15:57
『袈裟のはなし』久馬慧忠(き..
at 2019-08-01 23:14
京都市交響楽団第636回定期..
at 2019-07-30 18:33
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
シニアライフ
音楽
画像一覧

<   2018年 03月 ( 9 )   > この月の画像一覧

『参禅の道』 酒井得元

曹洞宗参禅道場の会の会報である『参禅の道』の平成30年3月発行には、別冊一、別冊二 が付いている。
このうち、別冊二は、故酒井得元老師が、参禅道場の会で講演された内容の特集になっている。
c0356158_21362020.jpg

酒井得元禅師は、明治45年に名古屋市に生まれ、平成8年11月2日、84才で遷化されたお坊様。
澤木興道老師のお弟子さん。
だから、主張が似ているし、つい引き込まれる。これは、自分自身がそれを魅力的と思わなければ引き込まれないわけで、自分の中にすでにその内容への共感があるということではなかろうか。又は、自分の理解が足りないことを気づかされた時の意外性。そこに、驚きと納得が生まれ、魅力的だと感じる。
酒井得元師は、澤木興道師の禅の考えをさらに納得できるように解説する。

「禅の本流」昭和56年10月号から

<坐禅は自分の業じゃない。坐禅は個人の気持ちを鎮めるものではない。われわれの日常生活はオノレの生活だが、この日常の人間を本来の人間に還す。自分の営みを全部やめてしまうのが坐禅です>

<坐禅は本当の自分を行ずる事です。頭を働かせることも佛さま に返してしまえというのを只管打坐という>

<手を組み足を組むと、そこにあなたの生活はない。天然自然のままです。坐禅はあなたの静坐じゃない。つまり参禅が坐禅であり、只管打坐して初めて坐禅となり、体は身心脱落、脱落身心であり、この体は大自然そのものだ>

<人間が物事を判断する。これはいい、これは悪いと判断することは、人間の生理現象だ>

<私たちの坐禅は、「無所得」「無所有」「不汚染」です。「求道心を放下する、これなり」。(略)仏法の真実には〇〇禅という流儀はありません。本当の仏法(正法)は、人間が決め込むものじゃない>

<仏道の真は、あなたの本来の姿が真です。日常生活の真を実践するのが坐禅です>


by Kinotomii | 2018-03-30 17:53 | 宗教 | Trackback | Comments(0)

芸術作品

鹿児島からやって来たこんなに立派な筍です。持山に毎年生えてくる上等の竹の子。
c0356158_22372614.jpg
とても美しい。一枚一枚の皮をきちんとまとった芸術作品。
c0356158_20373370.jpg
糠でゆがくのが惜しくなる。でも、まず穂先の部分を切り落とし、二分の一に割り、さらに真中に切り目を入れて湯がかなくては、まんまでは時間がかかる。家庭の場合。とても新しかったので、割れてしまったが、上等のだし昆布とパック入りダシで若竹煮にしたら、これ以上の贅沢なし。
一人住まいの親せきのおばさんにも。

次は、ちらし寿司の具に使い、天ぷらも良し。味噌汁に入れても良し。
昔は竹の子には繊維質くらいしか栄養らしい栄養はない、と言われていたが、最近では、免疫力を高めるとか、カリウムを含むとか、評判が良い。
c0356158_20370460.jpg





by Kinotomii | 2018-03-25 21:05 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

中村草田男句集 『長子』から

父の墓に母額づきぬ音もなし

とらへたる蝶の足(あ)がきのにほひかな

えごの花ながれ溜ればにほひけり

筍の鋒(きっさき)高し星生る

あかるさや蝸牛かたくかたく眠る

蟾蜍(ひきがえる)長子家去る由もなし

女工の眼皆んな賢げに行々子

蚊帳越しの電燈の玉見て居りぬ

揚羽遂に潮路を墜ちぬ不二の前

霧深き犬が尾を振りやめぬかな

軍隊の近づく音や秋風裡

法堂の砂紋影濃き春うれひ    sousekisan 

禅寺の飛び石数ふ日永かな    sousekisan

by Kinotomii | 2018-03-21 15:07 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

いかなごや見知らぬ町を好きになる   sousekisan


* いかなごや見知らぬ町を好きになる   sousekisan

スーパーにいかなごのくぎ煮が出ていて、もうこんな春なのか、と思う。
お隣のYさんが東北に越して行ってから、1年が経ったことを改めて思う。

Yさんの御主人の出身は神戸だったから、春になると、
「私が煮たので、おいしいかどうかわかりませんけど」
と言って、毎年いかなごのくぎ煮をおすそ分けして下さった。
今年はそれがない。
あの、いかなごを煮る匂いは、それだけでご飯が食べられそうなほどそわそわする匂いで、
「あ、来る来る」
と用意周到にごはんを炊いておく。
いかなごのくぎ煮は、他のおかずはいらない。
熱々のご飯にのせて一気に食べる。
「日本人で良かった」と大げさでなく思う。

Yさんがいなくなってから空き家となったお隣は、草がぼうぼうとなり、
洗濯ものを干すときに、いつも
「おはようございます」
と声掛けをして下さった、あの懐かしい声を聞くことはなくなった。
引っ越されてからしばらくは、洗濯物を干すたびに、
「ああ、もういらっしゃらないんだな」
と淋しく自分を慰めねばならなかった。

この人はいい人だな、と思うとき、自分の中にずっと変わらぬある価値観があることに気づく。
”正直で飾らない”
これは、相手を信頼していないとできない、人間としての強い資質だ。
つまり、相手に対して自分をさらけ出すことができる、というところにつながる。
これは、禅の心に共通する。
自分をいい人に見せたい心はどす黒い。

Yさんは、でも真に強かった。母としても。
思い出すと涙になりそう。
長いこと飼っていたビーグル犬が、ひっこしを前に静かに死んだとき、
私の家のインターホンを押して下さった。
姿が見えた途端、Yさんは顔を真っ赤にして泣き出した。
どうやって東北まで犬を運ぼうか、と思案していて、二人で洗濯物干し場で話したこともあった。
それを、ビーグル犬は聞いていたに違いない。
それを思うと、二人して目を真っ赤にした。
Yさんの心根が美しいから、苦しいことも、難儀なことも、魔法のように浄化された。
私の人生には数少ない、春のうす寒い風に咲いた白梅のような方だった。

c0356158_17513110.jpg








by Kinotomii | 2018-03-12 18:40 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

ニューヨーク・フィル・ハーモニック 2018年3月11日

待ちに待ったニューヨーク・フィル と五嶋龍のバイオリン。
ニューヨーク・フィルの美しい音と五嶋龍の存在感、惹きつけられる余裕ある奏で方、期待通り。
こんなに豪華なコンサートは、一生に2度経験できないかもしれないから、
超満員。欠席者もほとんどなし。

指揮者はオランダ人のヴァン・ズヴェーデン。
顔(かんばせ)は記憶にありましたが、意外に小さい方です。
思えば、名指揮者で身長が低い方は案外多い。

パンフレットなどはプロのカメラマンの仕事なので、どなたも芸術家らしく映る。
実際に見なければ意識することはないのに。
しかし、演奏スタイルは、体全体で表現する狂いのない指揮。
割と情熱的で、全てを把握している感じ。
ニューヨーク・フィルの次期音楽監督だとか。
名前、絶対に覚えられそうにない。
アムステルダム出身で、コンセルトヘボウ管弦楽団の史上最年少(19才)コンサートマスターだったとか、パンフレットに書いてありました。

五嶋龍は、テレビや雑誌でおなじみの方。
曲は、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。
実際に目の前で演奏される姿は、もっと魅力と愛嬌と知性に満ちていた。
前から5列目だったので、表情が良く見えた。
片足を前に踏ん張って親しく聴衆に近づいてくる感じで弾かれる。笑顔の表情で力強く、繊細に、余裕をもって奏でる。
前から見ても後ろから見ても、申し分なし。

とにかく、余裕です。といっても、だらけているんじゃなくて、知的エネルギーがまだまだ余っている感じ。才能と言い換えても良いのでしょうか。

音にも、聴衆にも、楽団に対しても、当然でしょうが、少しも怖れなし。
だから、100パーセントの実力を出せるのではないだろうか。

世界的バイオリニストであり、早くもレジェンドと書かれるこの方、ハーバードで物理を専攻。
天は二物も三物も与え給うたようです。

おまけに、弾くスタイルや表情から感ずるに、性格も良いように見える。
ひねくれたところなし。
そりゃ、血筋良し、知能良し、外見良しだもの。
やっぱり、音楽も体力と脳力勝負だな。体力、知力、脳力、必要だと思った。持っているから努力できる。努力できることが天才の証。

ニューヨーク・フィルに感心したのは、始まる30分前から、ほとんどの楽団員が舞台上で練習していらっしゃること。始まる頃には、コンサートマスター以外は、舞台に出ている。
そして、熱心に練習される。その様子は、さすがアメリカ人、屈託がない。
休憩しているようなスタイルで、みなが和やかに語ったりしながら練習。
曲は、ストラヴィンスキー「春の祭典」。
好きな曲です。体力、知力が要る音楽です。
終わった時には、袖に引く指揮者の後ろ姿から疲労が立ち上がっているのが見えた。

一流とはすごい。今年はもうこれで満足しよう。
欲は出さないことにきめた。




by Kinotomii | 2018-03-11 21:52 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

美容師 Aさん


もう20年近くひいきにしてきた美容室がある。
Aさんは、ここ6年ほどガンを治療しながら、美容師を続けておられる。
最初の胃がんを手術されたころからげっそり痩せて、その2年後には子宮がん、昨年は大腸を切ったという。
その間に、骨を折ったり、他の病気で入院したり、病気を休む暇なし。

昨日、2年ぶりにカットに行ってみた。
ここのカット料金は2000円。パーマは、5800円です。
普通の美容院の約二分の一。だから、中高年のたまり場です。いや、でしたと言った方が良い。60歳から80歳以上ばかり。 
身体を壊されてから入退院の繰り返しだから、お客さんはやっぱり減っていった。
減っていったけど、退院したらすぐまた仕事を始めるのが、このAさんのすごいところ。
「働かな、食べていけませんもん」

最初の胃がんの時から「末期がんなんです」と言っているが、話しぶりが常に明るい。
確か全摘出と言っていたが、仕事中に、しょっちゅうつまみ食いに奥に引っ込んだが、あちこち転移しながらあれから5年以上持っている。話を聞かないと病気だとはわからない。

昨日は寒かったから、お客は私一人だった。仕事の手の速い人だが、丁寧に丁寧に、時間をかけてカットして下さった。カットしながら、お互いの現在を告げ合う。

年齢を聞いてみたら、73歳だとか。
パワーがすごいですね、と言ったら、
「私みたいに我の強い人間は、天の神さんが、ここまでせなわからんと病気をくれはりますねん」
「その自覚を持った時に、もう許されてはると思います」
「そうかな~…。思い通り生きてきたから、後悔はないけどね。子供らには、苦労させた」

私は50歳くらいからここにお世話になっていた。
お客さんはたいてい私より年上だったから、いつも「あんたは若い」と言われていた。
そして、67歳の今でも、追いつけていない。

こんな年寄りばかりの美容室だから、話題は人生の深淵に及ぶ。
私はどちらかというと、この驚くような世間話が面白くて通っていた、と言っても良いと思う。
嫁姑、介護問題は言うに及ばず、世間で話題になる2年前から「後妻業」を地でいく人が現実に存在し、お得意さんだったが、Aさんは、
「もうウチには来ないで下さい」
とキッパリ断わったのだという。あの時のAさんの怒り方は凄かった。
独り身になっても、病気になっても、働いて自分の生活を立ててきた人から見れば、
介護に通っていたヘルパーの人が、いつのまにかそのおじいちゃんの遺産の権利を法的にも得て、家族と裁判になっているなんてことをパーマしながら聞いたら、
恥を知れ! と私でも言いたい。
その優しい介護は、職業として当然のことだったでしょうに、感激したおじいちゃん(被介護人)は、書類にハンコを押したらしい。
彼女の言い分は、「決して強制はしていない。相手のおじいちゃんから言い出した」というところだったらしいが、いくらうまいこと言おうと、出た結果がその人の真意です。
家族が冷たくほったらかしているからだ、という意見もあるだろうが。



by Kinotomii | 2018-03-09 17:20 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

啓蟄の鳥わっと湧く深空かな  

* 啓蟄の鳥わっと湧く深空かな    2013年

明日、3月6日は啓蟄。畑の土も温かくなり、冬の間土中に眠っていた虫たちが出てくる。畑仕事、田んぼ仕事にかかる時期。それと共に、空が急に高くなり空気が澄んで、種々の鳥たちが姿を見せ鳴き始める。


* ハーレーを航ひ(もやい)女の桜餅    2010年

まだ肌寒さの残る頃、幹線道路には巨大なバイクにまたがった人々が隊列を組んで一団となって走る景色が見られる。多くは中高年のおじさんたち。中の一人は髪の長い女性で、皮ジャン皮パンツを着こなし、大きなヘルメットを抱えたままハーレーダビットソンに寄りかかって、桜餅にかぶりついていた。ハーレーと桜餅の取り合わせが結構。


* 開梆の身を削る音冴かへる   2013年
開梆(かいぱん)とは、禅寺にある鳴り物の一つ。食事や坐禅の始まり終わりをこれで知らせる。木製のため、打てば打つほど表面が削られて穴状になる。身を削って役割を果たす。僧侶もこのようなものでしょう。季語は春で、「冴返る」。温かくなりかかったころに、また寒さが戻ってくることを言う。


* やはらかき雨滴散らして梅開く  2013年
寒さをついて咲くのが梅の花。ここでは、雨滴を散らして咲くというのだから、早く咲きたいとの梅の力を感じる。ただし、まずいのは、「散らして」の部分で、「~して」と説明に惰している。俳句は説明じゃありません、と俳句の先生はよくおっしゃって、片っ端から×をつけられた。
今年は寒さのため梅の開花が遅かった。関西は今が満開です。

 

by Kinotomii | 2018-03-05 11:01 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

坐禅の効用 

坐禅会には、真の求道心から参加する方、一種の健康法と割り切っている方、どちらとも言えず、またどちらでもあると言う方、道元禅師が好きと言う方、禅の考え方により性格改善が成った経験のある方、坐った後が気持ち良い、という方、大体こんな具合に種々様々である。どれが良い、悪いとは言えない。

須田道輝『新しい佛教読本』P43に、驚くべき運命改善の法則 という章がある。

曰く
<禅は究極的には仏道を成ずる原理であるが、同時に人間生活の中に、驚くべき運命の改善を起こすところの原理でもある>

 難しいので、わかりやすい日本語に言い換えると、
「禅は最終的には仏道を行うための原理であるが、又、坐禅をすると、現実の日常生活において驚くような運命の良い変化が起こる」

 どういうことかと言うと、
<心を静止し、集中力を養い、忍耐心を培うことなどで、やがて、環境の奴隷となっている自分を解放し、環境を自由に駆使する独立独歩の自分に生まれ変わることができる。
自信なき者には自信が湧き、落ち着きのない者には落ち着きが生まれ、不運な者には力が与えられるというような功徳が生まれる。これが、坐禅のもう一つの原理である>

難しい哲学的佛教原理を理解できなくても、これだけでも素晴らしいことです。
何も考えず坐禅をするだけでも良い、ということです。

<坐禅はたんに求道の賢者にのみ特有の大道ではなく、凡人であろうと賢者であろうと、誰でも、いつでも、どこでも、坐禅を行ずる者の前には、必ず現れるところの功徳を内在している>

お坊様方は、言葉が難しいんですよね。
坐禅をする人には、誰でも、いつでも、どこでも、そのうち想像もできないほどの功徳が現れてくる、とこういうことだと思う。それは、誰かが与えてくれるのではなく、元々自分の中に内在していた良い部分が坐禅によって顕現してくるものである。⇒(この部分は、唯識という難しい佛教哲学の探求によって明晰に説明される)

というわけであるから、坐禅会に集う人々は、坐禅をすると心身共に爽快になり、気が大きくなり、こだわりが少なくなり、ちょっとやそっとのことでは驚かなくなり、現実のみを相手にせず、やがて、自分の人生に何かしら良いことが多く現れることを何となく感じているのだと思う。
 
この後、坐禅をすることでどんな効果や功徳があるかを、具体的にあげてある。内容は抽象的な言語が多いため、恐縮ですが、私が理解したところを簡潔にまとめてみましょう。

1、不動の人生観が確立する。
2、人格的に調和が生まれ、長所は伸び、短所は長所に転換。
3、事物の判断を誤らなくなり、人を見抜く力が生まれてくる。
4、運命が改善され、新しい運命が転回する。
5、不安がなくなり、自信が生まれる。
6、悩みや苦しみの本性が見え、苦にならなくなる。
7、諸道、諸芸の奥義に達する。
8、事業を成功に導くカンが生まれる。
9、不治と思われた病気が治る。
10、主体性が確立し、人生への恐れが消える。ノイローゼや鬱などの精神構造が改善される。

 
 ただし、坐禅はためにするものではない。これらの効能(?)も、これを狙ってしたら、無である。宇宙の大自然に己を投げ入れ、無心で素直な心になることが第一で、結果として多くの坐禅を行って来た方々がこのような感想を述べている、というに過ぎないと思う。

「ためにする」とは、例えば、坐禅をしたら自分の求めるものが手に入る、という理屈のことです。事業の発展のために坐禅をする。坐禅をすれば事業が発展するに違いない。これを狙って、道具として坐禅を使うことです。
事業を発展させるためには坐禅をしなければならない、という本末転倒の理屈が生じる。鬱の人と仲間だったこともありますが、坐禅によって身体の気が整うとか、自律神経が調和するとか、そういうことがあるようですが、それも結果的に改善されたということで、坐禅をすると全員病が治るわけではない。
 そうではなく、本来の自分に還ること、天地大自然と一つになること、この宇宙と一体となれる素直な自分になるために坐禅があり、それができた時(心身脱落ができたとき)、誰の力でもなく、与えられたのでもなく、大宇宙の営みに沿った、まがいものでない現実が顕現する、という事でしょう…。







by Kinotomii | 2018-03-03 15:17 | 宗教 | Trackback | Comments(0)

道元禅師の家風 

須田道輝著 『新しい佛教読本』 P111より

(1)坐禅の宗教
 
道元禅師の著『正法眼蔵辨道話』の中に、「大師釈尊まさしく徳道の妙術を正伝し、また三世の如来ともに坐禅より得道せり。このゆえに正門なることをあひつたえるなり」と述べられている。佛教の発生は釈尊の菩提樹下の禅定(坐禅)から出発したものである。釈尊にとって禅定は生命であり、したがって、佛教においても禅定は佛教の根幹であり真髄でなければならない。だから禅定の実践なしに佛教というものは考えられるはずがないのである。
(略)
佛教の内容は、言ってみれば縁起論であり空観論であるから、これらの内容を離れて佛教はない。縁起と空論を逸脱した佛教がないように、その縁起を悟らしめた禅定(坐禅)を無視して仏法というのは考えられないのである。


      須田師は、仏教の教理はすべて禅定(坐禅)を母胎として生まれてきた。禅定を無視したのでは、母を否定する不幸者である、とも述べられている。坐禅への気持ちが衰え、怠け心が沸き起こることもたびたびのこの頃。坐禅をすることへの自信を深められる内容である。

 すでに示寂されている須田道輝(雲外)師は、諫早家の菩提寺である天祐寺https://www.nagasaki-tabinet.com/guide/50199/ の先代御住職。
『新しい佛教読本』ー精神統一の法則ー は、須田師の初めての著書。問い合わせは、天祐寺まで。600円。
https://www.nagasaki-tabinet.com/guide/50199/





by Kinotomii | 2018-03-02 10:13 | 宗教 | Trackback | Comments(0)