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やりたいこと、行きたいところ、話したい人、書きたいことが多すぎて。
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なぜ日本ではこれほどのプラスティックを使うのか? 再UP

うちの近辺は金曜日がプラスティックゴミの日。
今週も我が家のゴミ袋は一杯です。
夫との二人住まい。特に贅沢するわけではない。

そりゃあ、肉を買っても、魚を買っても、果物を買っても、キノコ類を買っても、必ずプラスティックのトレーに入れた上に、更にラップで包んであるんですから、溜るのは必定。

このトレーが曲者で、ドイツだったら、廃棄された紙で作られたトレーに生鮮品を入れてある。使用後は店に持って行って返せば良い。
ヴュルツブルクの小さなスーパーでは、入り口に返却用の大きな箱がしつらえられていて、リサイクル品はそこに入れてから買い物できるよう作られていた。
ドイツ人らしい合理性。
レジでも一々袋に入れてくれない。
持参したカゴや袋に直接入れて持ち帰る。これで良いではないか。
従って、自宅には滅多にプラスティックがたまらないようになっていた。
肉は丈夫そうなビニール袋に入れて冷蔵や冷凍で売られていたが、
大体、一つのスーパーに一つの肉屋さんが併設されていて、
グラムで買うと、紙の袋に入れてくれる。

ここでは同時に種々のチーズやパン、サラダ、ソースなども売られていて、グラム当たりの価格が示されているので、欲しいだけ注文する(ドイツの単位は日本と同じです。50グラム、100グラムOK))。
無駄なく考えられていると思った。

日本ではお菓子を買っても、二重三重にプラスティックの袋で武装しているのは、老眼で手先の器用さも弱った年寄りにはイライラの連続だ。 

やっと、プラスティック製品を自粛しましょう、という動きが出てきた。
ストローをやめましょう、だって。
小さな乳酸飲料を買っても、必ず数だけのストローがついていて、ほとんど捨てているが、これくらいでプラスティックの減量になるんだろうか。
今では買い物袋を持参するのはほぼ一般化したが、私は、二十数年前、ドイツの人々が、スーパーへの買い物に畳めるコンテナを利用しているのを見て、日本に帰ってからこれを真似した。
ここらでは私一人だった。
見た目がおどろおどろしかったが、育ち盛りの子供を持っていたので買い物量も多かったから、大変重宝した。
今では、スーパーの買い物かごに納まるレジバッグを入れて清算する。
二度手間が省ける。レジ係の方も、かごに入れるのと同じだから手間は変わらないはずだ。
日本は、プラスティックの元である石油を輸入しなくてはやっていけない国だ。
石油製品を減少させる仕組み作りも同時に進めて行きたいものだと思う。
我が国は、南シナ海を通り、ホルムズ海峡の辺りまで石油獲得に出かけなければならない事情を抱えていることを忘れないようにしたい。



by Kinotomii | 2018-09-25 06:33 | 環境 | Trackback | Comments(0)

心がきれいでないといい息はできません   楢崎一光

*静かに坐っていい息をしよう。
*今日一日 いい汗を流そう。
*今 ここをいい出会いにしよう。  楢崎一光


 平成2年、菊池市での文化講演会より 楢崎一光

新居浜でね、市民参加で、市民の人がみんな老いも若きもですよ、
ね、みんなが参加できるという坐禅。

私は寝たきりになったから参加できない、そんなことはないですよ。
息のしてる間は参加できるんですよ。
だからね、私は、いい息をするということは、坐禅だと言うとるですよ。
ね? それならだれでもええでしょう。
私は宗派が違いますけ、息しません、ちゅう人はないんだから。
ね? だれでもできる。息してるんだから。

それにね、息をするには、いい息をしなけりゃいけない。
ね、いい息をしなけれゃいけない。
今合掌がありましたから、
そういうことは皆さんよくご存じだとおもうんですけども、
そのためには、姿勢がね、正しくないといい息もできません。
心がきれいでないと、いい息はできません。

で、息という字は、自分の心と書くでしょう? ね?
だから、息は、いい息をしなけりゃいけない。
そのためには、この坐禅ということがね、非常に素晴らしいんだということを、今は、禅の科学研究で、科学者の先生たちがね、生理学だとか、精神医学だとか、心理学とか、そういう先生方が、坐禅は実に素晴らしいということをね、今、色々研究していらっしゃる。
そういうことを聴きますと、非常に、この息をするということ、調息ということがね、素晴らしい。坐禅は素晴らしい、ということでね、

新居浜では、市民参加で、だれでも坐禅ができるように、私はこの時とばかり、大いに意を強うして吹聴しておるわけでございます。

そういうことで、今、世界中の方々が、坐禅に取り組んでおられると、こういうことでございます。


by Kinotomii | 2018-09-21 21:15 | 宗教 | Trackback | Comments(0)

若い家族 再UP

3か月ぶりに孫たちに会いに東京へ。
保育園の運動会という名目。

クアラルンプールに移住した友人が提供してくれる空き家民宿のマンションのおかげで、泊まるところの心配をしなくてよいのが嬉しい。
東京は本当に宿泊料が高いし、空きを見つけるのがむつかしい。
そこへいくとこのマンションは、一家4人で暮らしていたマンションだから、悠々と居間でテレビをみたり、台所でコーヒーを沸かしたりとありがたいことこの上なし。
それでビジネスホテルの約半額の、一人1泊3000円というリーゾナブルさ。

働いている息子の妻の代わりに、孫たちの保育園へのお迎えという素晴らしい仕事を頼まれ、夫と生き返ったように元気になってJR線や私鉄線を乗り換えて、最寄り駅から20分歩いて保育園に着いた。
普段離れて暮らしているのに、お迎えに行くと、4歳と2歳は何の違和感もなくすうすうと動いてくれる。
これが泣かれたり嫌がられたりしたら、愛情もちょっと下がるだろうな。
普段からの両親の接し方が適切なのだろう。
でも、最後の最後、父親に叱られたりしたら、
「おかあさ~ん」
と首っ玉に跳びついていく。
(1年前から二人は、パパ、ママを「お父さん」「お母さん」に変えている)

共働きだと、息子も洗濯や掃除を担当している様子が家の中から伺われる。
近くに住んでいたら、洗濯ばあさん、お掃除ばあさん、まかないばあさんと、なんでも手伝ってやれるのに、と複雑な感情が湧くが、思い返せば自分たちも双方の両親に手伝ってもらうことなく、体の調子を崩したり、子育てにしょっちゅう悩んだりしながら何とかやってきた。

でも…、世間を見ると、姑には助けてもらいたくない。実家の両親に、というところが大方の趨勢だ…。
しかしこの嫁さんは、これまでもさして嫌がらない。
上の孫が1歳の頃、長期の入院ということがあって、都合数十日家に預かったこともあった。
だから父親側のジジババを嫌がらないのだろうと思う。
「もう少ししたら、おじいちゃんおばあちゃんの所に短期留学させます」
と宣言した。
それに、嫁さんのご両親のわが娘への教育もあるのかなあ。
実は、これが一番大きいかもしれない。

人生には何が起きるかわからない。
幼い子供たちを残して若くして逝った友人を身近にみてきた者としては、
「子供はみんなで育てよう」
と胸で小さくつぶやかずにはいられない。





by Kinotomii | 2018-09-21 12:21 | 親子関係 | Trackback | Comments(0)

金の田

いっせいに頭(こうべ)曲げたる稲穂かな ⇒こんな句はありません。
今はまだ、直角に曲がっている段階。


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稲の穂が、重そうに一斉に頭を垂れている風景は、魅力的です。

愛知県の友人から、今年も新米が送られてきました。
よく新幹線の窓から見るのですが、愛知県はこちらより田植えも収穫も早いようです。
この辺りはもう少し先になります。台風で痛めつけられた穂先が、黒っぽく変色しているのもあり、でも、あの強風によく耐えた。

たまたま、畔に貴重な曼殊沙華の一叢。
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故郷の実家の前の田の畔には、亡き母が植えた曼殊沙華が100メートルにわたって咲き誇っているはず。
2年くらいかけて、一個一個、球根を植えてゆき、まるで火の道のようだったが…。

火の道のカーブしてゆく曼殊沙華       2011年

有名なところで、
西国の畔曼殊沙華曼殊沙華        森 澄雄

珍しくアメリカザリガニ。
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どこから流れてきたのやら、生き延びてゆけるものやら。




by Kinotomii | 2018-09-19 13:17 | 環境 | Trackback | Comments(0)

養老孟司『バカの壁』と村上和雄 『生命の暗号』再UP

養老孟氏の『バカの壁』は、2003年4月10日に新書で出版されている。
当時400万部を売り上げるベストセラーになった。

(自著『朱いちゃんちゃんこ』
https://www.amazon.co.jp/%E6%9C%B1%E3%81%84%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%93-Parade-books-%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E3%81%A8%E3%81%97%E5%AD%90/dp/4434204904
は400部作って半分の200部は残っている! 脱力…。

この際、本の弁護をしたいのだが、タイトルの『朱いちゃんちゃんこ』は、還暦祝に着るあのちゃんちゃんこのことではない。還暦を記念して出版した本ではない。でも、ほぼ100%誤解されそう)

さて、普段、宗教は信じないとおっしゃっている知り合いの医師が、『バカの壁』にものすごく感動されて、いつになく饒舌に語られたのはいったいいつのことだったかとネットを広げてみた。
2003年…… え~~~~!もう15年も経ったの?。
15年も経っていると記憶に確信がないのでネットを拾い書きすると、あの本の要旨は、二者間には、これ以上はどうしても理解できない部分が存在し、これを「バカの壁」と名付けたという内容。

しかし、私の記憶に残っているのは、人間の身体は刻一刻変わっているので、「これが自分」と言えるものは存在しないという、とこんなことだったと記憶の残照がある。
人間の細胞は新旧を繰り返しているから、昨日のあなたと今日のあなたとはまず同じ身体ではないよ。
これ、と取り出して他に見せられるような「自分」というものは、存在しないよ。
佛教で言うところの、
<<諸行無常>>⇒世のすべてのものは移り変わる。
<<諸法無我>>⇒この世に私のものは一つとしてない。
       尊敬する村上和雄氏の主張と同じです。
         

いくら腹が立っても、それは昨日のあなたが腹を立てたのであり、今日のあなたは昨日のあなたとは別のあなただから、昨日のことを引きずっていつまでも腹を立てているなんてばからしいことですよ。
<<涅槃寂静>>⇒欲望の火が消えると平安になる。
           以上、楢崎通元『禅のたより』より。

こんな風に理解して、多くの読者は目の前の雲が払われて目が覚めたのではなかったか…。
しかし、理屈はわかっても、自分、というものの意識はなかなか変えられない。
簡単に変えられないのも脳のしくみにあって、この頑固さをも「バカの壁」とおっしゃっていたのではなかったか…?(記憶に自信なし)

昨日、養老氏がNHKの「こころの時代」に出ておられた。
ほぼ以上のようなことを仰っていて、共感で自然にうなづいていた。

人間は、7年で物質がすべて入れ替わります。
われわれ、何回死んでは生き返っていることか。
(註):養老氏は、 最近、「遺言」という本を出された。

『方丈記』鴨長明に
行く河のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。
・・・・・・・略・・・・・・・・・・・・・・・
世の中にある人とすみかとまたかくのごとし

と、ちゃんと、この真理が述べられている。
一つも絶対と言えるものはないわけですね。

仏教の考えの中にこの真理が説かれていたことには驚かないが、
現代になって、この考え方の根拠を科学的な方法で確かめることができる、という事実に感動する。
別の言い方をすれば、科学で言い換えることができるということ。

こうなるとつくづく思う。
宗教というものをバカにしていたひと昔前の科学者たち。
数十年前のそのころでも、「アメリカでは優れた科学者ほど宗教を信じている」、という情報はあった。
しかし、どこか両者は対立する様相を呈していた。
現在、猛烈に進んだ遺伝子研究によって、科学的真実を大昔の宗教は言い当てていた、ということに気づく。
又は、宗教が説いていたところを現代になってやっと科学が証明してみせた、ということだろうか。
どちらにしても、ワクワクするような感動を覚える。



by Kinotomii | 2018-09-14 19:14 | 宗教 | Trackback | Comments(0)

依報 と 正報

このところ巨大台風、大雨、大地震、干ばつ、山火事、噴火、竜巻など、自然現象の乱れが地球規模で起こっている。
人間が自分の利益のことだけ考えて、害毒をこの地球上にまき散らしていることが原因、という意見が多い。
具体的には、地球の温暖化。
私たちの動物的感覚として、そうだろうな、そうに違いないと思う。

以下の文は、故須田道輝師の正法眼蔵からの、自然現象と人間の生きる態度との関係を解釈したものである。
正法眼蔵は、これを解釈する人によって、それぞれ内容が違うことがあるのだろうか…。拾い読みしてみると、解釈の違う部分がある。古典だから色々な解釈が可能ということもある。
時代と共に、その時代に合わせた解釈になるということもある。
普遍性があるということであり、真実は、時代の波にも、解釈する相手にも耐えうるということだろう。

<<「いま現前する依報正報、ともに内に相似たり、外に相似たり」
                道元 『正法眼蔵』(古鏡)
正報とは、私の人生のすべてである。
依報とは、私の人生をとりまく全環境である。だから、依報(環境)は、鏡の中の自分であって、自分を、この世に映し出した姿である。
つまり、正・依は、同体で、別々にあるのではない。

 従って、
この地球環境を良くするも、悪くするも、私たちの内側の問題であると認識しなければならない。環境悪化は、そのまま正報(私たちの生活)につながる。人間が悪化することだし、又その逆でもある。

 自然保護と言うが、自然は人間どもに保護されるいわれはない。自然は悠久の時間の中で、回復する力を持っているが、人間は、自らの排出した害毒で、生きられなくなるだけである。
依報(環境)を大切にすることは、とりもなおさず正報(全生活)を大切にすることにつながる。
また逆に、正報を正せば、依報が正される。(須田道輝)>>

 この正報・依報の関係は、環境問題だけではなく、人間関係にも当てはまる。しかし、大きくとらえれば、環境問題にも当てはまる、と須田師はおっしゃっているのである。
現前の地球環境の悪化は、人間の心の持ちようを目の前に顕現しているということであるから。

道元禅師が、自然に沿った生活を目指し、深山での修業を取り入れたのは、いつかこのような自然の反乱がある、との真理を掴んでおられたからでしょう。宗教家の眼差しは鋭い。
アメリカで道元禅を目指された故片桐大忍師が、同じことをおっしゃっている。(『禅の種まき』)

地震は、いつどこで起きるかもわからないところが、気味が悪い。
人間の英知を集めても、地震の予知ができないことがもどかしい。
北海道の地震では、あの魚のうろこ状に崩れた山々が痛ましく、また見るたびに気持ちが悪くなるほどだ。
亡くなった方々、家を失った方々…、これほどの理不尽はない。
人間は自分の命を自分で決めることはできない、ということをむなしく納得するのみ。明日は、自分かもしれない。

ところで、関空では飛行場の一部再開がなされ、北海道の止まっていた電気がほぼ通電した。思っていたより早い。
あれが原発でなくて一安心。
やはり、もう原発はやめなければ、改めて思った。
それにしても、こんな時つくづく日本人に感心する。
関係機関、関係者の不眠不休の働きがあったからだろうな…と。(合掌)

震源地近くに住んでいる息子一家も、家族で固まって2日を過ごし、電気が来なくて、メールはバッテリー減少になるからメールするな、とメールが来た。


by Kinotomii | 2018-09-10 12:39 | 宗教 | Trackback | Comments(0)

孫の運動会を見に行った①

初めて、孫の運動会というものに参加した。
初孫は3歳。
この春、息子の転勤と同時に、名前も知らなかった大学付属の幼稚園に入園した。
3月19日生まれだから、クラスでは最も小さいが、体格は中くらいである。
息子に似てあまり落ち着きのない子なのだが、見た目が良い。
このたびはなぜか一番前に立っていた。
年長から始まるかけっこも、年長が半周に対して、3歳児は、おそらく円周の中の一直線を5メートルくらいしか走らない。
遠くて、皆同じトレーニングウエアを着ていて、どれが孫か見つけるのはむつかしが、一番前なのでシャッターチャンスさえ逃さなければ何とか…。
そして、あっという間に全員同時にテープを切る勢いで終わった。
お遊戯も、玉入れも、家と違ってそれなりに言うことを聞いてやっている。
下に弟がいるが、私の役目は主にこの子の面倒を見ることであった。
そして、この下の孫がまた、わが孫ながらかわいいこと!

若いころは保母をやっていたこの目にも、大層かわいい部類の子供であると映る。
なぜなら、幼いのに、この子がはにかむ子供なのである。
また、文句は言わないし、兄に物を取られても照れた表情をするだけで反発はしない。
美味しいものでも手に入ると、おちょぼ口をして、ニっと笑まう。
母に甘えたくても、兄のようにしょっちゅうおっぱいに触ることは遠慮しているのか、
母の鎖骨の当りを小さな指でもじょもじょと触って下から母親の表情をうかがうだけ。
遠慮しているのである。
兄が母親の膝を占領していても、それを嫌がる風もなく、さらっとしている。

どうしょう!!
こんな子、これまで子供関係の仕事をしていて大勢の子供と接してきたが、こんな子は知らない。
どうしょう!
あんまり稀有なかわいらしさを持った子だから、命はかなし、だったらどうしょう!

この子が、ジジババが帰るとわかると、さっと帽子をもってきて乳母車に座る。
自分も一緒に行く、と顔を硬直させて目の色を変え、今にも玄関から出る様子である。
1歳7か月だが、まだよくしゃべることもしない。
幼い子がよくするように、泣き騒ぐなどはしない。
が、別れてしばらくしたら、自分もおじいちゃん、おばあちゃんと行く、と仁王立ちになって大泣きしたそうである。
嫁がその写真を携帯に送ってきた。
なんて切ない子なんだ。
いつもは兄に遠慮して思いっきり甘えられないのではなかろうか。
黙っているが、私の胸は複雑に痛んでいる。
だから、運動会の校庭では、自分流に思い切り遊んで触ってだっこしたのだった。
いつの日か、大反抗子になって、両親に甘えなよ。











by Kinotomii | 2018-09-06 07:16 | 親子関係 | Trackback | Comments(0)

良い遺伝子をオンにするためにできること 再UP

良い遺伝子を目覚めさせるために実行できること。
①明るく前向きに考える。⇒ やみくもに先のことを心配せず、プラス思考。今与えられた仕事に一生懸命になれる素直さ。「ダメ」という言葉を自分のボキャブラリーから追放する。試練を糧とする考え方。ストレスは成長のための味方だ。ありがたい。

②環境を変えてみる。⇒ 環境の変化は心境の変化をもたらし、良い遺伝子をオンにする。運命の出会いに恵まれる可能性が高くなる。一流に交わる。同類を求めていたら「どんぐりの背比べ」を出ることができない。「その道の先輩」との出会いを積極的に求めていくと、一流に交わることで刺激を受け、眠っていた遺伝子がオンになることもある。

③人との出会い、機会との遭遇を大切にする。⇒ まずはやってみる。やってみない先から、できるかできないか、プラスかマイナスかなどを考えず、とにかく「やってみる。もし失敗しても、それまでの努力を無駄にするものではない。新しい発見のもとになる貴重な体験となる。いったん始めたら、疑いの念を抱いたり迷ったりせず、一途に思い込んでバカみたいな単純さでやり続ける。

④感動する。⇒ 感動は、悪い方向に行きがちな遺伝子を眠らせ、よい遺伝子だけを活性化してくれる。(オリンピックは大変ありがたい感動の連続
感動は、心の変化を起こして、人相が変わったり、病気が治ったりすることがある。
「感動によって眠っていた遺伝子のスイッチが入った」ということ。
感動して涙を流すとき、人の心は洗われる。
無償の愛や、相手を支えたいという気持ちでいそしんでいれば、思いがけず、大きな見返りを得ることができます。幸福感です。心が幸せな時、遺伝子はオンになっている。

⑤感謝する。⇒ ギブ・アンド・ギブの生き方を貫く。常に与える姿勢でいること。

⑥世のため人のためを考えて生きる。(利他)⇒ 誠実に努力していれば、それは目に見えない貯金となって天に蓄積されていく。その貯金は自分に戻ってこないかもしれないが、子供、孫、あるいは社会の誰かの役にたつ。

自分のすることを一代限りで考えてはいけない。
「他人のため」に献身的に努力しているとき、人の心は理想的な状態で働く。⇒良い遺伝子がオンになる。他人のために何かをすることほど、自分に役立つことはありません。自分の心を充実させたかったら、人の心を充実させてあげること。自分が成功したかったら、人の成功を心から望むこと。そういう生き方をすればよいのです。

(稲森和夫氏が言われることと大変似ている。村上氏のシリーズのカテゴリを「宗教」にしている理由がここにある)



by Kinotomii | 2018-09-02 23:02 | 宗教 | Trackback | Comments(0)

青田の海

青田の海だった田んぼが 今は苗から稲に変わろうとしています。
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これが稲の花。小さくてよく見えないかもしれない。

米粒より小さく咲きゐる稲の花 島津余史衣

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白い小さな花々が、しっかりと稲から咲き始めています。
辺り一帯、むせるほどの稲の薫りです。もしかすると、これは花そのものの匂いだろうか。

むかし吾も乙女でありき稲の花 島津余史衣

田の畔に入った途端、目の前に青い田の海が広がり、稲の薫りが体を包む感じ。

稲の遺伝子の数は、32000個だそうです。
対して、人間の遺伝子の数は、22000個。ウニとほぼ同じだそうです。
日本人の主食である稲=米はすごい。

昔、ニュージーランド人の友人が、日本の青田が美しい、と感激して下さった時には、当たり前すぎてピンとこなかった。
西洋の麦畑の方が美しいような気がしていた。
でも、今わかる。
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美しく育ち、おいしい米を実らせる稲の生命力。
豊葦原の瑞穂の国  にっぽん!!




by Kinotomii | 2018-09-02 17:54 | 雑記 | Trackback | Comments(0)